自宅横にある物置が老朽化(築50年弱)し、見た目にも安全面でも問題があったため、つい先日建て替えのため取り壊しました。
それに先立ち、必要最小限の中身だけ残すことにしました(私の年代って、捨てることが下手なんです)。そしたら偶然このコーヒーカップのソーサーが出てきました。カップはこれまで時々使っていたのですが、ソーサーは30年近く見つからずに諦めていました。現在の自宅を新築する際、紛れてしまったのでしょうね。
このカップはソーサーと一対でなければ、私にとっての意味は半減してしまうのです。
19歳の時、つまり1973年、当時東京の練馬区江古田で、外国からの留学生もいる学生寮で慎ましく暮らしていました。進路に迷いがあり、早稲田を中退し予備校に通っていた、人生で最も苦しい、悩み多き青春時代を送っていました。
寮から駅に向かうダラダラの下り坂は「くの字」に曲がっていて、ちょうどその角に小さなおもちゃ屋さん(今だとアクセサリーショップのようなお店)があり、ショウウィンドウ越しに飾ってあったこのカップ&ソーサーは、当時、心が寂しかった私には、とてもほんわか温かみを醸し出して見えました。食事を節約しながら2、3ヶ月我慢して、店に飛び込みました。当時、600円くらいだったかと記憶しています。「これで飲むとコーヒーが美味しくなるよ」と、カップを包みながら微笑んだ店主のおじさんの声がいまでも思い出されます。
あれから40年以上経ちました。このカップ&ソーサーを手にするたび、当時のほろ苦い記憶がいろんな情景とともに、浮かび上がってきます。そして、いまの幸せを感謝しています。
あのお店はまだあるんだろうか、おじさんはどうしているだろうか、もうすっかり風景が変わってしまい、当時の面影すら残っていないかもしれない—でも私の心の中に鮮やかに残っています。