時すでに霜月、庭のハナミズキの梢にかろうじて残った葉が、やがて芝生の上に落ち、霜をまとう季節となりました。
この季節は黄昏時が長く、戸外で過ごすには寒く、また暗すぎます。したがって、読書や音楽鑑賞にはもってこいの季節ともいえます。
そういえば一説に、ヨーロッパ文化はこの長い黄昏時が育んだともいわれています。
そのヨーロッパ文化において、ユーモアとかエスプリといったものは人間らしさの根源的要素として、大変重要な扱われ方をしています。
さて、本題の「たわむれと粋」とはつまり、ユーモアの精神に他ならないわけですが、今回は後者の「粋」な曲を取り上げてみたいと思います。
グラスハーモニカという楽器をご存じでしょうか。
共鳴箱の上にグラスを横一列に並べ、その中に入れる水の量を加減しながら、水で濡らした指でグラスの縁をこすって音を出すものですから、楽器というよりいわば原始的な音遊びです。
ちなみに、やや大きめで薄手のワイングラスでやってみると、なかなか神秘的な音がします。
18世紀中頃、イギリスでポックリッチという人物が、「エンジェリック・オルガン(天使のオルガン)」という楽器を考案し、これが一世を風靡し、グラスハーモニカの原型となりました。
その後、ロンドンに外交官として滞在していたベンジャミン・フランクリンが、この原始的な楽器の発音原理を応用し、鍵盤楽器のように演奏できるメカニックな楽器を発明しました。
この楽器の魅力についてかのゲーテは、
「世界の深奥の生命を聴くようだ」と評しています。
そしてご多分に漏れず、この楽器のために曲を作る作曲家が数多く出ました。
しかし、楽器が壊れやすいこと、そして演奏者に過度の精神的負担がかかるとの風評のため、そして何よりも大会場での演奏会が実現するようになった結果、サロン向きな(音量の小さい)この楽器は、19世紀前半には演奏会場から全く姿を消してしまいました。
いかにも、貴族社会の象徴的な楽器という気がします。
そういえば、モーツァルトをはじめとする作曲家たちの多くには貴族のパトロンがついていたり、また作曲の依頼主はほとんどが貴族だったという状況からしても、この頃の音楽の誕生にとって貴族社会は決定的な要素だったことが理解できます。
さて、私たちの学生時代には、学生にとって民主主義社会こそが全ての基本であり、貴族社会のような専制的封建的な社会は悪しき象徴、という暗黙の通念がありました(アンシャン・レジームに反発するのは、いつの世も、学生の政治思想の出発点になるようです)。
しかし皮肉なことに、この憎むべき貴族社会がなければ我が愛すべきモーツァルトやバッハなどのすばらしい音楽を聴くことはできなかったともいえます。
ちなみに、1791年にモーツァルトはこの世を去っていますが、パリの民衆がバスチーユの牢獄を襲撃したのは2年前の1789年のことです。革命後、フランスの混乱は約10年間続きましたから、モーツァルトは生まれ変わったフランスを知る由もなかったわけですが、彼が革命をどうみていたのか、非常に興味あるところです。
話を戻しましょう。
モーツァルトは、1791年5月にこの楽器の名手としてウィーンを訪れた盲目の少女、マリアンヌ・キルヒゲスナー(当時19歳)のために五重奏曲と独奏曲を書きました。
演奏会は6月10日に開かれ、8月13日のウィーン新聞には次のような批評が掲載されました。
「・・・それから、音楽通なら誰もが次のように確信するようなハーモニカ(グラスハーモニカ)のための小品が演奏された。すなわち、ハーモニカはあらゆる楽器の中で最も高貴な楽器でありメランコリックで悲哀を帯びた感情よりも、むしろ喜ばしく、おだやかで、そして崇高な感情を呼び起こす楽器なのである。」
モーツァルトはフランクリンのタイプ、つまり鍵盤楽器のように演奏できるグラスハーモニカのために曲を作っていますが、この楽器は現存していないため、現在聴くことができるのは、残念ながらポックリッチのタイプで演奏されたもののみです。
したがって演奏が難しく、現在の完成度の高い楽器の演奏を聴き慣れている私たちの耳には、どうしても演奏が稚拙に響くのは致し方ないことでしょう。
それはともかく、「グラスハーモニカのためのアダージョとロンド ハ短調/ハ長調 K.617」は最晩年に作曲された曲の中でも傑作のひとつに挙げられています。グラスハーモニカの神秘的、そして天国的な響きもさることながら、フルートをはじめとするその他の楽器の旋律も大変魅力的な仕上がりをみせています。
この曲を聴きながら、しばし遠く浮き世から離れた世界に思いを馳せるというのも、なんと「粋」なひとときの過ごし方ではないでしょうか。
(写真はベンジャミン・フランクリンタイプのグラスハーモニカ)
(1995年群馬県保険医新聞11月号に掲載した原稿をもとに加筆)