「暑さ寒さも彼岸まで」とか申します。
皆様、健やかに暑さを乗り切ることができましたか?
梅雨の頃には冷夏を心配しましたが、どうしてどうして、立派な猛暑が訪れました。
それはともかく、虫の音も心に沁みる季節となりました。
虫の音というとスズムシ、コオロギ、あるいはキリギリスを連想しますが、これらの音は楽器で例えるならやはりヴァイオリンではないでしょうか。夏の間はときには暑苦しく響くこの楽器の音色はとても聞く気にならないと敬遠する向きもあるようですが、風に涼しさを感じる季節になると、不思議と波長が合うという経験をお持ちの方も多いかと思います。
というわけで、ようやくヴァイオリン・ソナタをご紹介できる季節となりました。
さてソナタとしては、ヴァイオリン・ソナタの他に、以前ご紹介したピアノ・ソナタもあればチェロ・ソナタ、フルート・ソナタ等々、その他に「・・・と・・・のためのソナタ」などといったものもあります。
このうち、ピアノ・ソナタのみが器楽曲(独奏曲)のジャンルに属し、他は全て室内楽(小編成の合奏曲)に属します。
なぜピアノだけが独奏なのかと疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
ピアノは多くの楽器の中で最も表現力のある楽器だといわれています。音域、強弱の幅が圧倒的に広く、また左右の手で全く異なった旋律を同時に演奏することができます。したがって、ピアノ単独でも十分に表現力豊かな、変化に富んだ演奏が可能なのです。
さて、ピアノ以外のソナタが、表現力を得るためにしたことが、とりもなおさず他の楽器との合奏という手法でした。
相手として選んだ楽器は、ピアノやハープシコード(チェンバロ)がほとんどです。
さて、またここで疑問が生じます。
ヴァイオリン・ソナタを例にとると、圧倒的な表現力をもつピアノが相手だったら、肝心なヴァイオリンの存在がかすみはしないかと。
そこで通常は、ピアノのパートはヴァイオリンのそれに比べては控えめで単純な旋律に仕上げられています。
演奏する側にとってみれば、両者のバランス感覚といったものが演奏の出来を大きく左右します。この場合、ヴァイオリン奏者のその日の力量にピアノ奏者が合わせなくてはなりませんから、いわば後者が女房役といったところでしょうか。あえて誤解を恐れず俗な比喩をさせていただくなら、蚤の夫婦の奥さんが旦那を立てて男を上げさせるといったところでしょうか。
クラシックが妙に浪花節調になったところで、長過ぎた「序」を終えたいと思います。
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モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、全部で32曲あります(諸説あります)が、そのうち10歳までの、いわゆる神童時代に書かれた16曲と、22歳頃から書かれた16曲に大きく分けられます。
前者は、1750年代から80年代に流行した、いわゆる「伴奏付きのクラヴィーア・ソナタ」の形態をとっています。つまり、チェンバロ、またはピアノの独奏曲に、ヴァイオリンの簡単な伴奏をつけたもので、ヴァイオリンはあくまで「従」の役割だったのです。
真の意味で「二重ソナタ」の形態になったのは、1782年以降に書かれた後期のソナタで、ピアノパートの比重が大きいとはいえ、ヴァイオリンの存在が不可欠となり、両者が互いにうたい合い、融け合って曲を成立させています。
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ヴァイオリン・ソナタにまつわるエピソードをお話しましょう。
1782年、モーツァルトは最愛の女性コンスタンツェと結婚します。ちなみにモーツァルトの父レオポルドや、姉ナンネルからの猛反対を受けました。
史実上、コンスタンツェは「悪妻」として有名ですが、これは多分にレオポルドの目を通した評価によるところが大きく、当のモーツァルト自身にとっては生涯最愛の妻だったようです(妻に対する評価は配偶者である夫がすべきで、それが全てではないかと実感しました)。
この妻と二重奏をするために、モーツァルトはヴァイオリン・ソナタを作曲しています。残念ながらこれらは全て未完に終わっていますが、モーツァルトの死後、コンスタンツェの依頼でシュタードラーによって補筆されています(K.402,403,396,372)。
これこそ亡き夫への愛情もしくは敬意そのものではないでしょうか。
さてもうひとつは、K.454の演奏に関するエピソードです。
これは、レジーナ・ストリナザッキという当時の女流名ヴァイオリニストと共演するために書かれたものでした。
モーツァルトは、演奏当日までピアノパートを完成することができず、本番では簡単なメモを前に演奏しました。そしてもっともらしく譜面を見ながら即興で演奏したモーツァルトを、臨席していたヨーゼフ二世があとでからかったと伝えられています。
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さて、今回は曲の中身には触れませんでしたが、第2楽章がいかにもモーツァルトらしい(単純、明快、美しいという意味で)第24番ハ長調K.296、そしてこのジャンル唯一の短調で、珍しく深刻な曲想のK.304などが個人的には気に入っていてよく聴いています。一聴の価値はあるかと思います。
ちなみに私の愛聴盤は、ヘンリク・シェリンク(V)、とイングリッド・へブラー(P)による、1969年〜72年録音のものです。この盤は、両者の絶妙なバランスを堪能できます。
(1995年群馬県保険医新聞8月号に掲載されたものに加筆)