モーツァルト その1

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 まずはモーツァルト-その魅力と特徴
 実は、群馬県保険医新聞(月刊紙)に1995年1月から1年間、『私とモーツァルト』と題し、12回の連載を書いたことがあります。
 その中から、いくつかを抜粋してご紹介します。
 今読み返すと少々?という部分もありますが、よかったらおつきあい下さい。

   『モーツァルト—その魅力と特徴』(第2回)
 今回は私なりにモーツァルトの音楽の魅力についてお話しさせていただきます。
 全くのアマチュアの見識であることをあらかじめお断りしておきます。
*「TPOを選ばない」
 いつでもどこでも、そしてどんな気分のときでも聴けるのがモーツァルトの音楽です。
 このことは、バロックからモーツァルトまでの古典派の音楽におよそ共通していることですが、モーツァルトの場合に特に際立っています。
 つまり、「思想を持たない音楽」といえるわけで、聴き手が音楽から勝手な連想をしてかまわないのです。
 一方、同じ古典派でもベートーベン以降になり、表題音楽など、いわゆる「思想を持った」音楽では作曲家の意図が明確ですから、いつでもどこでもというわけにはいかなくなります。
 
*メロディーが単純明快、かつ美しい
 ふと口ずさんだり、口笛で吹ける音楽といったらわかりやすいかもしれません。
 また、モーツァルト自身は演奏上の楽器指定において、重低音域の楽器の使用を極力少なくしていますから、この点からも意識的に軽やかな音づくりへのこだわりがうかがえます。

*長調の音楽が圧倒的に多い
 たとえば、41番まである交響曲のうち短調の曲は2曲のみ、ピアノ協奏曲では27曲中2曲、ピアノソナタでも短調は18曲中2曲のみといった具合です。
 モーツァルトの曲が軽快な印象を与えることもうなずけます。
 ところがおもしろいことに、モーツァルトの作品の中でも数少ない短調の曲のほとんどが、いわゆる名曲とか傑作の誉れが高いのです。(ちなみに、モーツァルトといえどもときには駄作もあります)

*転調(長調→短調 短調→長調)が多い
 例えば短調の曲といっても、徹頭徹尾暗い旋律の曲というのはただの一つもなく、必ず転調により、たとえば雲間から陽が差すような明るさが現れるのです。緊張から解放された安堵の表現が実に巧みなのです。この辺がモーツァルトたるゆえんでしょうか。
 たとえば「トルコ行進曲付き」の名で有名なピアノソナタ11番の第3楽章、つまりトルコ行進曲の部分ですが、楽章としてはイ短調です。しかし、この中で何度転調があるでしょうか、数えられないほどです。この曲に異国情緒がそこはかとなく漂う秘密はその辺にあるのかもしれません。
同じことは長調の曲にもいえ、明るい曲想の中に時々見せる「翳り=メランコリック」が、何ともいえない人間味を感じさせるのです。

*フィナーレが簡潔である
 他の作曲家の曲の中には、これでもかといわんばかりにフィナーレが大袈裟な曲もありますが、ことモーツァルトの曲に関してはこういったこととは無縁です。
 楽器の編成自体が小さい(数が少ない)ことから考えても迫力で印象づける曲想ではないのです。
 消え入るような、あっけないフィナーレがほとんどです。
 しかし、それがかえって余韻を残し、曲の存在感を際立たせてしまうように感じます。

 その他、音楽の流れに澱みがない等、魅力につきることはありませんが、この辺で省略し、次回から[My favorite Mozart]を、演奏家ともどもご紹介したいと思います。  1995.2

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