「完治しません、抜きましょう」

2016年12月



 「完治しません、抜きましょう」
 歯科医療の現場では、この状況説明と結論はたびたび耳にします。
 歯科も医療である以上、完治しないことは少なくありません。
 逆に完治することのほうが稀かもしれません。
 こんなことを言うと、「えっ、ほんと?」と不安になる方もいるでしょう。
 でもある意味本当なのです。
 まず、ほとんどのむし歯の治療に完治はあり得ません。
 むし歯の完治とは、むし歯で脱灰(歯が溶けたり、軟らかくなること)した部分に再石灰化(歯の成分と構造が元に戻ること)が起こることです。
 これが起こるのは、ごく初期のむし歯で、しかも理想的な環境の改善が行われた場合に限定されます。
 ほとんどのむし歯治療では、脱灰した部分を機械的に取り除き、代替材料でその部分を埋め戻すという処置が行われます。
 医学の分野では、この材料をプロテーゼ、あるいはエピテーゼといいます。
 これは、体の欠損した部分の機能と形態を補う材料を指し、義肢(義手、義足)などがこれにあたります。むし歯の治療や歯を失った時に装着するブリッジや義肢も広い意味ではこれに含まれます。

 歯周病では、歯肉のみに限定される軽度のものを歯肉炎といいますが、この炎症は多くの場合、原因を除去すれば完治します。しかしさらに炎症が進行した場合は、多くの場合、進行を抑え症状を安定させるのが限界です。

 これとは別に、技術的に症状を抑えきれないものもあります。
 たとえば、歯の神経の治療(歯内療法)などがこれにあたります。
 歯の神経は、歯の中を網目状に分布しています。
 その細い組織全てを取り除き、その部分をすべて充填(代替材料で密封すること)することはほとんど不可能です。組織の取り残しや充填しきれなかった部分があったけれど、それが結果的に問題を起こさなかった、というのが本音です。
 ですから、「完全に症状が消えなかったのは腕が悪いからだ」とは決めつけないでください(笑)。
 この場合、「完治しないので抜歯しましょう」という結論に達することがよくあります。でもこれは、歯科特有の結論の導き方です。
 たとえば、視力が改善しないとき、眼を取ってしまうでしょうか。
 「膝が時々痛む」と医師に訴えたとき、完治しないからといって足を切断するでしょうか。
 逆にいうと、症状や障害があっても体のその部分を取り去らないのは、不便は感じるものの、それを取り去るとさらに困る、かけがえのない体の一部だからです。
 そこで登場するのが、リハビリ、つまり機能改善という概念です。
 リハビリで完治する場合もありますが、多くの場合、100%の回復は困難です。 
 したがって、リハビリには「うまく付き合っていく」という気持ちが肝要です。例として、歯の揺れが完全に止まらなかったとしても、噛み合わせを調節しながらうまく付き合っていくことはできます。また、歯の腫れが完全に治らなくても、清掃や洗浄をしながら付き合っていくことは可能です。
 一方で、抜歯すれば当然原因の歯はなくなりますから、それによる症状や障害は消えます。
 しかし、多くの場合、そこには新たな問題が生まれます。 
 問題の歯は無くなったがかえって噛みにくくなった、他の歯を削らなくてはならなくなった、などという事態は枚挙にいとまがありません。

 歯科で簡単に抜歯という結論に至るのは、いくつか理由が考えられます。
 ひとつには歯の数が多いこと、また年齢とともに歯を失うのは自然の摂理だと思っていること、したがって一つ一つの歯に対して他の臓器のように「かけがえのない体の一部」という感覚が希薄だからでしょうか。

 悩みの種だった歯がなくなればどんなにスッキリするだろう---そう思うのは仕方のないことです。人間は、当面のトラブルから離れたがるものです。でもそのとき、逃れることによってまた新たなトラブルに遭遇する可能性も考慮しておかねばなりません。つまり、メリットとデメリットを冷静に判断、比較する必要があるのです。判断を誤っても元に戻せるのならいいのですが、不可逆的な選択肢は慎重に選ばなければなりません。
 ベターな方法を皆さんと一緒に考え、アドバイスをするのも、私たちの大事な仕事なのです。

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