7月に参院選挙が行われる。
この原稿が紙面に載っている頃にはすでに結果が出ているはずである。
さて、5月のサミットで安倍首相は、「リーマンショック」「経済危機」という言葉をしきりに使い、参加各国の代表に現在の経済状態の深刻さをアピールした。
それに対する各国の評価は冷ややかで、発言の意味を疑うものまであった。
私見ではあるが、首相はアベノミクスの失敗を「先進国共通の経済危機」に責任転嫁したかったのではなかろうか。
安倍首相はある意味行動派で、政権成立後いろんな動きを起こした。
中でも現政権下で特筆すべきは、これまでになく「国民の知る権利」が蹂躙されようとしていることではないだろうか。
昨年来、現政権は改憲への動き、それとともに情報統制強化の動きを強めている。
今年5月3日の憲法記念日に合わせて、朝日新聞が改憲に関する全国世論調査を行った。
これによると、「改憲不要」が55%(昨年の調査では48%)と、「必要」の37%を上回った。
また、大災害時に政府の権限を強める「緊急事態条項」を憲法に加えることについては、「賛成」は33%で、「反対」の52%が上回った。
「国民の間で、改憲の是非についての議論が深まっていない」という回答は、「あまり」と「まったく」を合わせると82%に達した。
さらに、安倍政権のもとで憲法改正を実現することについては、「賛成」の25%に対し、「反対」は58%という結果となった。
これらは、「放送倫理・番組向上機構」(以下、BPO)への政府関与の検討(政府による放送法の恣意的解釈)、昨年立て続けに成立させた安全保障関連法、特定秘密保護法、そして近隣諸国への強硬な対応等への国民の危機感の表れではないだろうか。
そもそも放送法は、国家が放送に干渉した戦前の反省に立って、放送の自由をうたったものだ。 問題の中心はその4条である。
第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実を曲げないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
政府や自民党がよりどころとするのは、放送法4条が規定している「政治的に公平」や「事実を曲げない報道」である。
この4条は努力義務であり、条文違反を理由にした処分は表現の自由を保障している憲法に違反するというのが、法学界の通説である。
BPO川端委員長は、政府による放送法の解釈の間違いを次のように指摘する。「放送法は放送局の側が自主的・自律的に放送倫理を向上させていくことを求めている。BPOは純然たる任意団体。政府権力に放送倫理はこうなのだからこうしろと言わせないための仕組みだ。その仕組みに行政官や政治家が入ってきたら全然意味がない。」
放送法を番組内容の規制に利用することは断じて許されない。行政処分やNHK予算の否認をちらつかせるかのような行為は、まさに「権力のおごり」である。
だが、谷垣禎一幹事長は政府批判の放送について、「今後問題があれば来てもらって実情を聴くことはある」と述べた。
安倍首相は一昨年11月、アベノミクスに批判的な「街の声」を選んでいるとテレビ局を批判した。昨年6月には、自民党の勉強会で議員が「マスコミを懲らしめるには広告収入をなくせばいい」との発言している。
言動の根底には、現政権に表現の自由を軽んじる体質があると考えられる。言論封殺につながるような動きは、民主主義の根幹を揺るがすものである。
これら一連の政府の動きに対する危機感は、国内にとどまらない。
4月19日、国連特別報告者デビッド・ケイ氏は訪日記者会見で、「日本で強まる報道規制と表現の自由の危機」についてコメントし、日本政府に対し、メディアの独立性保護と国民の知る権利の促進のために対策を講じるよう要請した。
中国や北朝鮮でなく、わが国に対して、である。
氏は、日本国憲法下で、報道の自由は明確に保護されているにもかかわらず、報道の独立性は重大な脅威に直面している、と指摘している。
改めて憲法とは何か、再度確認しておきたい。
憲法は国家の基礎となる法、つまり国家のあり方を決めたルールである。
国家とは、そこに生活する国民が、強制力を持った権力によって統治された社会のことをいう。
歴史的教訓から、国家権力は、放置すると暴走する危険があるため、その歯止めをするのが憲法である。
つまり憲法とは、国家権力を制限し、人権を保障するものである。
この憲法をもとに法律が作られるが、法律はどちらかというと国家権力が国民の権利を制限するためのものである。
そのため、憲法が国家権力を監視し、国家権力に好き勝手な法律を作らせない仕組みになっている。
多くの国民の目には、昨年からの政府の動きは、この憲法の役割を低下させ、政府に都合のよい法解釈をさせる危険な動きに映っているのではないだろうか。
真実を知りたい、伝えたい---国民は、ある出来事が起こった時、その正確な事実、そして原因、今後社会や国民生活に与える影響等について、多面的に知りたいと思っている。
ある一面的な情報しか与えられないとすれば、かつての太平洋戦争への突入時と同じ轍を踏むことになる。
放送をはじめ、国民への情報提供に権力が不当に介入することがあっては決してならない。
権力への箍(たが)を緩める一方で国民の言論をコントロールする---この先に何が見えるだろうか。
今こそ、将来の日本のあり方を左右する大事なときである。
現政権の動き、目論見に対し、国民自らが正しい判断力を持って審判を下さなくてはならない。
「群馬県保険医新聞2016年7月号『論壇」原稿」 |