歯科におけるinvasion=侵襲について

2013年7月



 ご存知の通り、我が国の保険制度は原則出来高払い制である.
 昨今、医療費の抑制を目的として包括制への移行が検討されている.
 保険医協会では、原則出来高払い制の堅持を主張している.それは、包括制の場合、診療報酬が不当に過小評価されて設定された場合(包括枠の狭小化)、患者が必要な医療を受けられなくなる懸念が生じるからである。
 私もこれまで「論壇」でも折に触れ、包括制の弊害を訴えてきた.
 今回は別の視点で、今後危惧される出来高払い制の問題点を考えてみたい.
 数年前に、歯科医院の数がコンビニのそれを超えたということが話題になった.コンビニ軒数は平成25年4月の調べで47703店、一方厚労省の医療施設動態調査によれば、歯科診療所数は平成24年3月末の概数で68453所となっている.実に1.4倍である. これが多いか少ないかは多角的に検討する必要がある.
 一方で、国民医療費全体に占める歯科医療費は、1985年では10.5%であったものが2007年では7.3%にまで落ち込んでいる. 我々歯科の、国民への啓蒙の努力も足りなかったのだが、厚労省の歯科軽視の施策も少なからず影響しているものと思われる.
 歯科医療費は、医療費の中でも所得弾力性が高く、したがって景気動向の影響を受けやすい.
 歯科医院数が増加し、同時に長引く不況下で、1医院あたりの患者数の減少傾向が続いているが、出来高払い制の下で診療報酬の過小評価が続いた場合、患者へはどのような影響が起こるだろうか.
 需要を供給が上回った場合のメリットとしては、患者のアクセスが容易になることが挙げられる.いわゆる「3時間待ち3分診療」に表現される乱診乱療は起こりにくい.
 逆に、歯科に限ったことではないが、とりわけ歯科において起こりうる可能性が高いのが過剰介入と自費診療への誘導である.
 要するに、治療方針を立てる際に、患者にとっての最良の選択ではなく、医療機関(の経営)にとっての最良の選択が行われる可能性が高くなるということである.
 一例として、歯科の場合、ごく初期のムシ歯CO(一酸化炭素ではなく、要観察歯:Questionable Caries under Observation)の扱いが、医療機関によって大きく異なるという事実がある.
 指導やフッ素塗布をして定期的に管理する医院もあれば、明らかなう蝕(むし歯)として処置をする医院もある。当然後者のほうが医療機関にとって時間あたりの収入は高くなる.
 先に挙げた状況下では、医院の経済的理由から後者へのインセンティヴが高くなる可能性がある.
 かつて、う蝕の進行を見越し、先回りして充填処置(う蝕の部分を削除し、代替材料で填塞する)をするという考えがあった.我々が学生時代(30〜40年前)に主流とされていた予防拡大(う蝕が進行する可能性がある部位を多めに削除すること)という概念がまさにこれである. 
 また同様の根拠で、動揺を止められない歯や、将来トラブルを起こす可能性のある智歯等は抜歯の対象とされた. 
 当時は、欠損部を放置したり、進行した歯周病によって予後に不安が残る歯や歯周組織を見守る、つまり経過観察するという治療方針は市民権を得にくい環境だった.
 まさに、All or None Principle(悉無律)という、デジタルな治療環境だったわけである.
 たしかに、予後不安材料がある場合、早い段階で明確に取捨選択するほうが術者側の都合からすると楽である. 治療方針が立てやすく、その後のトラブルに悩まずにすむ(ように思える)からであろう(しかし、その早期治療という侵襲により、当初の問題解決の対象はなくなるが、またあらたな問題が生じてくることも多いのである). しかし患者本人にとって口腔も身体の一部であり、そう簡単に取捨選択できる筋合いのものではない。
 これにさらなる拍車をかけたのが、平成8年度に新設された補綴物維持管理料(補管)である。
 これは、ある医療機関で装着した補綴物(被せ物)の2年間の保証であり、この間に補綴物が破損、あるいは再度の処置が必要となった場合、当該医療機関の責任で再治療を行う義務があるとするものである.補管の問題点は本題から外れるのでここでは割愛したい。
 さて、処置をしないこと(過剰介入の防止、あるいは管理)の評価がなかった時代には、ある意味予防拡大という診療方針もやむをえなかったといえなくもない(日本語として実に歯切れの悪い表現を用いざるをえないのが辛いところである).   CO、動揺歯、欠損---これらはすべて介入の対象だった.
 しかしこの概念には、定期検診や経過観察という、現在では主流となりつつある患者との継続的なかかわり方の意義は存在していない.
 現在は、診療報酬上の評価は決して十分とは言えないまでも、「管理」の評価がなされている. しかも、患者やその家族も、歯科医院を検診、管理のための施設として位置づけるようになってきており、いきおい過剰介入に対し、かなり神経質になっていることも事実である.
 
 話は変わるが、骨密度が低い場合(測定部位によりかなりの差異があるようだが)、骨折の予防、つまり寝たきり状態を作らないためにビスフォスフォネート製剤(以下BP)の予防投与が日常的に行われている.もちろん、骨折によるQOLの低下を回避するのが目的であるのは言うまでもない.
 一方で、BPの投与を開始すると、歯科の領域においては抜歯等による骨髄炎の発症率は明らかに高くなるのも事実である.このこともふまえ、安易な投与は患者のQOLを高めることにならないばかりか、侵襲のひとつにもなりうることも医科の医師には認識しておいていただきたい.
 
 閑話休題。
 1歯欠損部にパーシャルデンチャー(部分床義歯)を入れている歯科医は少なくない. 1歯欠損への対応として、一般的にはブリッジがまず選択肢の筆頭に浮かぶであろう. 
 しかし、ブリッジでもなくましてはインプラントでもなく、ある意味古典的な可撤(取り外し)式の義歯である. これは何を意味するのか. 
 たとえ治療であれ、ブリッジやインプラントといった対処法は、歯や骨に対しての不可逆的な侵襲であり、その後にあらたな問題を生む可能性のあることを経験的に実感しているからではないだろうか. 
 ちなみに侵襲という言葉は医学用語であるため、広辞苑にも記載されていない。 Wikipediaには以下のように記載されている.
 —invasion=侵襲とは、「病気」「怪我」だけでなく「手術」「医療処置」のような、「生体を傷つけること」すべてを指す。なぜなら、病態であれその治療であれ、侵襲に対する生体の反応は同じであり、それを知らずして(侵襲を以て)人を治療することはできないからである。—
 
 私は最近、歯軸方向の歯根破折であっても、患者がそれによる不都合を感じず、かつ骨吸収や隣在歯への影響がない場合、あえて抜歯をせず、経過観察するようにしている。抜歯とそれに伴うあらたな侵襲をできるだけ先送りしたいからである. 
 歯科が主として対象とするう蝕や歯周病は、発症、あるいは進行の抑制という意味で、予防のメニューが多く、またその効果も大きい疾病である.
 今後の歯科医療のあるべき方向性は、定期検診やメインテナンスによる、過剰介入の防止であることは明らかである.

 かく言う私も、若い頃は治療技術の習得、そしてその実践自体が好きだった.
 いかに「きれいな」症例を作るかということが最大の関心事だった頃があった. 歯科医療に技術が不可欠な以上、歯科医にとってそういう時期も必要であることは事実である.
 しかし、かつて自分が自信をもって行った処置の、30年後の結果に触れる機会も多くなった今、実感することがある.
 口腔はあくまで成長、成熟、退行という生理学的変化をする人間の一部であり、負荷や熱、pHの急激な変化を受ける過酷な環境である.そこに、不変であることを前提とした金属等の人工物を適合、あるいは適応させるという行為との間に歪みが出ないことのほうがまれだということである。
 今はというと、あまり肩肘を張らずに、歯科医療の限界(自己の力量の限界?)を語りながらも患者の思いをできるだけ共有し、患者とのかかわり方を楽しむようになってきた.
 ちょっとした言動で患者との信頼関係を壊すことになる一方で、患者との信頼関係を構築することは決して容易ではない. そして、その関係を維持し続けることはさらに難しい.そう思うこの頃である.

(群馬県保険医新聞3013年7月号「診療室」に掲載)

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