私は自称「語源研究家」である。否、特段そういった肩書きがあるわけではないので、正確には語源を調べるのが好きという程度のものである.
だからというわけでもないが、最近「なるほど!」と思う記事に出会った.
日本歯科新聞社の発刊する月刊誌「アポロニア」の昨年11月号の連載「からだの気持ち」の中で、執筆者の氏家賢明氏は、「コーチ」という言葉をとりあげ、以下のようにコメントしていた(私の要約故に、正確でないことをご容赦願いたい).
「先のロンドンオリンピックで日本人選手が活躍できたのは、指導者が『監督』から『コーチ』に変化したことが考えられる.『監督』は上から選手を指導、管理、指示するのに対し、『コーチ』は上下より人と人の横の関係で選手を彼らの望む方向へ導く援助をする.これが、選手たちが力を発揮する結果となったのではないか.医師と患者の関係もこのコーチと選手の関係であるべきだと思う.」
その中で、「コーチ」の語源にも触れていた.
私が調べたところ、そもそも「コーチ」という名は、ハンガリーの小さな町“Kocs”(コチ)に由来しているそうである。この町でサスペンション付きの4輪馬車が世界で初めて製造され、その乗り心地のよさがヨーロッパ中に知れ渡り、それにより馬車のことを「コーチ」と呼ぶようになったそうである(COACHというかばんメーカーのロゴにも馬車が描かれている).
つまり、馬車が人を目的地に運ぶところから、「大切な人をその人が望むところまで送り届ける」という意味が派生したようである.
なかなか深いtriviaだと思う.
さて、話は変わるが、最近の40歳代より若い世代では、「醫」の字を読めない方も多いのではないかと思う.現在の「医」の旧字であるが、現在の「医」の字はこの旧字の左上の部分だけを残したものである(こういった省略の仕方は他にも例があり、「1ヶ月」の「ケ」は、「箇」の竹かんむりの左だけを残したものである)
さて、旧字は見ての通り、「医」「殳」「酉」から成っている.
現在残っている「医」は、主として医療技術を表している.
右上の「殳」は、奉仕の精神を表現している.行人偏をつけると「役」という字になることから理解できよう.
そして下の「酉」は、癒しの心を指している.さんずいをつけると「酒」になるが、酒は気付けに使われたし、痛みを和らげる効果もあった、
余談だが、キリスト教の世界でも修道院でワインやビールが造られていた.
これは、キリストは最後の晩餐で、「ワインは私の血であり、パンは私の肉体である。」と言ったことに由来するらしい。ワインやパンを作ることは、神の子キリストの血や肉を造ることであり、ビールも原料は麦なので液体のパンと考えれば問題なしとされたようである.やや我田引水に聞こえるのは私だけだろうか.
実際には、これらは修道院にとって貴重な収入源だったようである.
さらにウィスキーも、「命の水」を意味するアイルランド語のuisce beatha(イシュケ・バーハ)に由来するが、奇しくもこれも15世紀修道士によって造られていたそうである.
閑話休題.
要は、医療とは治療技術のみならず、奉仕と癒しの心が伴わないと成り立たないという貴重な教訓を、この語源は示しているのである.
ある分野が混迷を深めたときは、常に原点に立ち返ってみることが必要であり、それは、忘れかけていた大事なものを再認識するという大事な作業であることを教えてくれているように思えてならない.
そして、先に触れた「コーチ」の精神は、我々が患者に向かうとき、「醫」の語源同様に、常に具備すべき心得ではないかと気づかされる。
専門職としての見地をもちながら、患者が彼らの求める方向へ歩む手助けをする、別の言い方をすれば、患者の目線で彼らに寄り添いながら専門職としての技能を駆使して健康へと向かう手助けをする---これが医療の原点ではなかろうか.
治療法に選択肢の多い歯科では、とりわけこのことは重要である.
まず、患者は何を望んでいるのかを的確に把握しなければならない.次に、それを実現することが可能か否かを専門的知識と経験により冷静に判断する必要がある.
そして、仮に可能であるとして、そうすることが真に患者のためになるのかどうか、もしならないとすればそれをどう納得してもらうか。
一方実現不可能である場合には、どこまでそれに近づけるのか、あるいは精神的にその問題を克服するためにどんなアドバイスができるのか、
さらに、どこまで予後に責任が持てるのか---パターナリズムではどうにもならない医療の現実がここにある.
だからこそ「醫」の精神、「コーチ」の精神が必要なのであり、いわゆる医療メディエーションの原点もここにあるはずである.
10年後、20年後、日本の高齢化はさらにすすむことは確実である.高齢化は当然医療費を押し上げることになるが、医療の価値が費用対効果で語られ、大事なものが置き去りにされようとしているとき、「醫」や「コーチ」の精神をもう一度思い起こす必要があろう.
衆院選の結果、3年余りの民主党政権にピリオドが打たれた.少なからずの国民に期待された民主党政権だったが、震災への対応の不手際とTPP加盟や消費税増税を始め、民意とのずれが致命傷となった感がある.「政権が変われば」という期待を裏切った民主党の責任は重い.
我々医療に携わる者は、「醫」「コーチ」の精神を忘れず、患者を心身ともによりよい方向へ運ぶ、信頼を裏切らない伴走者たるよう、努力したい.
「群馬県保険医新聞歯科版2013年新年号『歯鏡』」の原稿」