昨年は、現在に生きる日本人にとって未曾有の震災を経験した1年だった。そして原発事故による放射能汚染の解決はいまだ先が見えない。
さて、来年度は2年ごとの診療報酬改訂が行われる。
当初、日医日歯のみならず、保団連までが厚労省に対し、改訂を見送るよう訴えた。
改訂による診療報酬引き下げを恐れての対応であろうが、被災地も含め、よりよい医療を目指す業界の対応として疑問が残る。
我々の利益を主張するだけの要求なら、それを引っ込めることもあろう。しかし点数の増減ばかりが改訂ではないはずだ。患者国民の権利を守るための主張なら、むしろ積極的に制度の改善を要求すべきではなかったろうか。
さて、我が国の健康保険は現物給付制で、患者にとっては手続きが簡素でアクセスしやすい制度である一方で、国際的な比較においても高い窓口負担となっている。
昨年秋以降政府が提案した、高額療養費制度拡充のための財源確保を目的とした「受診時定額負担」は、患者へのさらなる負担を強いるものである。政府は受診抑制が目的ではないと説明しているが、結果的にそうなることは火を見るより明らかだ。70〜74歳の窓口負担の引き上げも含め、結局この導入案は与党議員からの反発も大きく廃案となったが、政府は今度は高額療養費制度の対象者の絞り込みを検討している。
高齢化社会が今後さらに進行する中、医療技術の進歩や新薬の開発によるいわゆる「医療費の自然増」は避けられない。
これを財政的に押さえ込もうとすれば、
・ 診療報酬の引き下げ
・ 保険適応項目の絞り込み(ex.混合診療)
・ 患者負担率の引き上げ
等の措置が必要となる。
しかしこれらの施策は、当然患者自身や医療機関への「痛み」を伴う。
その「痛み」は、将来必ずや国民皆保険制に「形骸化」という深刻な後遺症をもたらすであろう。
最近、こんなジョークを聞いた。
「日本人は、銃は持っていないが保険証を持っている」
米国社会に対する痛烈な皮肉である。
海外も注目する我が国の国民皆保険制を存続発展させるためには、本来、医療費の節約は、疾病自体の減少によって行われるべきものである。
この当たり前のことがこれまで積極的に行われてこなかった要因の一つに、担当大臣等が短期間で交代する我が国の政治体制のもとでは、成果=功績を確認しにくいという面があるからではないだろうか。
しかし逼迫した状況の中、そんなことは言っていられない。
迅速に成果を出すべき施策ももちろんあるが、それは同時に中長期的な視野に立った施策が根底にあってはじめて奏効するものではないだろうか。
国際的にみても低い我が国の診療報酬をさらに引き下げ、さらに物や処置に偏りすぎた評価のままの体制を続ければ、診療における過剰介入(過剰な切削、抜歯、投薬等)が誘導されやすくなるであろうことは、これまでも何度か触れてきた。患者を守る医療の現場で、その患者自身が被害者となる---これは絶対あってはならないことである。
この意味で、昨年成立した歯科口腔保健法は注目に値する。
同法に関する説明は以下の通りである。
「歯科口腔保健の推進に関する施策を総合的に推進するための法律であり、施策に関する基本理念、国・地方公共団体等の責務などが定められ、歯科疾患の予防や口腔の保健に関する調査研究をはじめ、国民が定期的に歯科検診を受けること等の勧奨や、障害者・介護を必要とする高齢者が定期的に歯科検診を受けることまたは歯科医療を受けることができるようにする等の内容となっている。『2011年(平成23年)8月10日に公布・施行』」
余談になるが、同法の名称は単に口腔保険法でいいのではないかと思うが、実は、当初は口腔保険法としたものを、その後歯科医師会と医師会の調整で改名し、この名称になったそうである。
それはともかく、厚労省が本気で医療費を減らそうと考え、かつ口腔の健康増進が医療費を節約するというエビデンスを認めたことは確かなようである。
換言すれば、口腔の健康状態の悪化が全身状態の悪化に明らかに影響があるという事実が認められたと考えられる。
つまり、歯科においては今後、予防管理の評価が高まる可能性が大となるであろう。
我々は、口腔の健康が全身の健康に寄与することを期待している国民の、その期待に応えることが必要となる。
制度としては、処置等による出来高払いとは別に、管理の評価が整備される必要がある。
さて、日常診療では、医科と歯科で少なからぬ違いがある。
歯科の特徴として、
・ 投薬を続けるケースは少ない
・ 精密さが要求される処置が多い
・ 代替材料で置換するケースが多い
・ いわゆる2大歯科疾患は、予防管理が比較的容易で、かつ重要
といったことが挙げられる。
これらを鑑みて、中長期的な見地に立ち、口腔の健康の維持増進で国民のQOLの向上、その結果として医療費の真の節約を目指すべきであろう。
そして、高い精度を要求される細密な歯科の処置を減らし、それらに集中できる体制作りを進めるべきではないだろうか。
30年近く歯科診療に携わってみると、虚無感と同時にやりがいを感じる。
たとえば、いかに精魂込めて補綴物を装着しようと、経年的には装着当時の状態とは明らかに違ってきたり、装着による新たな問題が生じてくることも多い。
しかしその一方で、装着物を自身の身体の一部としてしっかり管理したり、またその装着が契機となり口腔の健康維持に熱心になるというケースもある。さらに、予防管理を目的とした来院が多くなったことも明るい前途を予感させる。
「病気になったら受診する」という医科的な受診動機から脱却し、健康の維持増進を目的とした受診が中心となることにより、歯科は真の市民権を手に入れられると信じている。そしてこの成果は10年以上のスパンで評価していく必要があろう。
(群馬県保険医協会歯科版2012年1月号「歯鏡」原稿)