真に国民のQOL向上に寄与する医療であるために

2011年1月



 2010年の診療報酬改定で、額面上歯科は久々のプラス改定となった。
 しかし一方で、高点数をチェックの対象とする集団的個別指導から、「改善」がみられなければ個別指導へと移行する指導大綱がある限り、対象者は実質的萎縮診療を強いられ、保険医療機関の経営改善はまさに「絵に描いた餅」であるというのが本音ではなかろうか。
 昨今の歯科大、歯学部の偏差値の低下や定員割れの事実をみても、歯科医療界が氷河期といわれる程厳しい時代であることは事実であろう。
 これは、単に歯科医という職種の収入が減少したからという理由だけではなかろう。つまるところ、「国民のQOLを高める」ことに寄与しにくい制度に縛られていることが大きな要因だとは考えられないだろうか。
 「国民のGOLを高める」ことに関われることは、職業として肌でやりがいを感じることができる。そのことを誇りに思うなら、自ずと表情や行動に反映されるはずである。
 たとえば歯科医同士が行う会話や行動等が、これとはかけ離れたものとして国民の目に映っている可能性はないか。
 QOLを高める立場にありながら、日常の思考の多くを経営を守ることばかりに使っていないだろうか。
 また、たとえば不採算といわれる保険診療を、他の方法で補うことの後ろめたさを心のどこかで感じながら診療してはいないだろうか。
 患者に最善の治療より、経営のための治療を重視していないだろうか。
 社会への貢献から乖離した保身は、国民には決して魅力的に映らない。

 いまの制度に問題があることは、保険診療に従事する者ならほとんどが感じているし、事実でもある。
 しかし制度の不備を理由に、我々の職業の崇高さを捨てるような言動に走ることはあってはならない
 歯科医療の崇高さを国民に認めてもらうには、最終的には、我々が行う広義の診療行為が、患者、国民のQOL向上に寄与できているかどうかが問われているのではなかろうか。つまり、受診により口腔の機能や形態がより快適に、あるいは健康になれること、そして正しい健康観をもち、人としてより健やかな生活をおくれるようになることを、患者や国民が実感できるか、が問われているのではないだろうか。
 一方で、DMやセミナー等で「増患」という言葉を見聞きするが、QOL向上に関わる職種の使う用語としては、はなはだ適正を欠いた表現ではないだろうか。
 さらに、根拠に乏しい事例を取り上げ、患者、国民の健康に対する不安をいたずらに助長するようなプロパガンダを見かけることも少なくない。
 我々が国民に警鐘を鳴らすときは、当然それが国民にプラスにならなくてはならないし、できれば、患者、国民を元気にするようなものでありたい。
 ここでは歯科医の良識と良心が問われよう。

 次に政策について触れたい。
 今後日本が福祉先進国となるには、治療に対する環境整備もさることながら、予防や管理により医療機関が採算のとれる医療制度の構築が是非とも必要であろう。
 それにより、中長期的に国民の健康の増進や医療費の抑制が証明されれば、国の産業や経済面からみても、十分なメリットになるはずである。
 少なくとも疾病の重篤化を食い止めたり、あるいは遅延させることができれば、十分価値あるアプローチであることは確かである。
 実際、歯科医療に対する国民の価値観は、補綴物の装着といった「モノ」中心から、管理やメインテナンスといったサービスへ既に変わりつつある。
 処置すること=侵襲を加えるより、処置しないことに意味を感じている。
 このことは、歯科医療が真の医療に一歩近づいたと考えられないだろうか。
 歯科医は、この動きをさらに進めるべく、診療や運動を位置づけていくべきであり、それにより、採算面でもマイナスにならない経営形態を目指すべきであろう。

 日本政府が国際的に信用がないのは、主張に一貫性がないこととともに、政権交代が短すぎ、責任の所在が曖昧なことが大きな原因と考えられる。
 結果的に国の進路の中長期展望が描けない。
 我々医療に携わる者はそうであってはならない。
 
 目の前の患者と将来にわたってどういう関係を築きたいかを常に考えながら医療を行うべきである。
 特に今日の歯科医療では、5年後、10年後に患者にどうあって欲しいかというビジョンを描いていなければならないし、あるいは起こりうるトラブルへの対策や処置の選択肢を用意しておかなければ、「お座なりの処置」といわれてもしかたあるまい。
 昨今高齢者で、10種類以上の薬を服用している方が少なくない。
 患者が医師に症状を訴える。医師はその症状に対して薬を処方する。この繰り返しの結果、そのような状況になったのではと思われるケースが多々ある。
 10種類以上の薬を患者が指示通りに服用できるとは到底考えられない。
 また、これらの薬同士の相互作用について、医師のほうで確実に把握できているとも考えにくい。多すぎる服用の弊害を考えなければ、やはり「お座なりの投薬」ではないだろか。
 歯科においてはどうか。
 たとえば診査をしてC1に近いCOの部位があったとしよう。
 この患者とたった一度の出会いだとすれば、充填をするという選択肢もないわけではない。
 しかし、管理という形で長期にこの患者と関わろうとすれば、指導とともに経過観察という手段をとるべきであろう。
 Pも同様。
 m2であっても、初診時に抜歯と決めるのは早計な場合も多々ある。
 長期で関われるなら、たとえ動揺があってもPに対する適切な処置を行い、経過をみながら患者とともに治療計画を立てても決して遅くはない
 点でなく、線や面で患者と関わっていくことがとりもなおさず患者の利益につながり、また医院経営の面からも決してマイナスにはならない。
 患者との強い信頼関係も生まれる。
 その意味で、歯の「整理」を助長する「補綴物維持管理」はやはり問題の多い制度といえよう。

 歯科保険診療体系改善の運動は、我々歯科医師の生活のためであってはならない。
 歯科の保険診療が真に患者、国民にQOLに寄与するためにはどういう方向に向かうべきかを考えた運動でなければならない。
(群馬県保険医協会 歯科版 2011 1月号 「探針」原稿)

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