新政権のもとで、初めての診療報酬改定が行われた。
「実質プラス改定」との厚労省の発表に対し保団連は、「後発品のある先発品の薬価追加引き下げ分が、公表した0.19%の改定率に盛り込まれていない」とし、改善要求をつきつけた。
同省は「改定率の偽装ではない」と弁明しているが、こういった数字上のトリックは、先方の常套手段である。
いずれにしても野党時代、福祉の充実を声高にアピールしてきた民主党政権が、「結局は帳尻合わせに終始しただけで、福祉の充実どころか、官僚改革を含め何もできなかった」と言われないよう、こういった官僚の詭弁を是正するよう、切望する。
このところの改定では、厚労省は医療機関に対し、患者への情報提供を徹底するよう指導料等の算定用件として厳しい条件をつけたり、あるいは有無も言わせず義務化してきている。
明細書の発行しかり、その他種々の文書提供しかりで、特に歯科ではこれらの文書提供に費やす時間と労力は、相当な負担になっている。紙の消費とて馬鹿にならない。
誤解のないようにつけ加えるならば、患者への情報提供そのものは世の中の趨勢であり、患者が自分に行われている医療を知り、治癒改善に向けより主体的意識をもつためには、是非とも推進すべきものであろう。
ただし、それぞれの文書等が、真に患者にプラスになるような環境整備がなされていなければ、いたずらに医療現場での混乱を助長したり、また文書自体が単なる紙切れと化す可能性が大である。決して機械的一方的な情報提供であってはならない。
厚労省が医療機関に対し、患者への情報開示を推進する一方で、同省の現場を無視した対応が依然として改善されていないのはどうしたことであろう。
まず第一に、今次改定で、オンライン請求を行う医療機関に対し「レセプト並みの明細書」の無料発行が義務化された。
ある調査によると、開業医の6割がこの義務化に反対している。
理由としては、第一に「患者への説明等に手間がかかる」、次いで「入力・印刷等のため窓口作業が増え、患者の待ち時間が伸びる」、さらに「大量の紙を必要とするなど、コストがかさむ」などが挙げられた。
第一の理由だが、いわゆる「保険病名」など、いますぐ厚労省自ら改善しなくてはならない課題が残されたままの義務化である点が問題である。
「保険病名」という言葉があること自体、既に病名と処置との整合性がないわけで、これが長年放置されたままということは、同省の職務の怠慢といわざるをえない。少なくとも、ある処置がなぜその病名では適用にならないのか、保険医が納得できる説明責任が必要であろう。現場での患者への説明はさらに難しいのである。
また、一方で処置等の包括化が進んでいるのに、これまでよりさらに細かい明細書を出したところで、はたして意味があるのだろうか。患者から明細書の内容について質問されても、「〜に含まれています」では、はたして何のための「レセプト並み」か、理解に苦しむ。
次に、患者の保険証については、医療機関は毎月の確認を義務づけられている。しかしその一方で、職場変更等による保険証の回収と再発行の同時性の不徹底は、保険医ならば誰もが痛感している。これによる保険証と本人の不一致は、医療機関には資格喪失による返戻として再確認の作業が課せられるが、これもおかしな話である。本来の管理責任者である行政は、早急な対策を講じるべきである(講じていなくてはならない)。
さらに実情に合わないといえば、関東信越厚生局による3/30(医科対象) 3/31(歯科対象)の新点数説明会の開催などは、その最たるものである。
4/1から、現場は新点数下で診療を行うのである。
現場には改定への迅速な対応を求める一方で、自らの体質改善に対して腰が重いようでは、医療機関への説得力を欠くというものである。
さらにこの開催が問題なのは、平日の昼日中、しかも全県下の医療機関を一堂に集めて行われることである。
大病院であればまだしも、圧倒的多数である院長一人の医療機関では、その間緊急医療体制が機能停止の状態になる。
行政の、医療現場に対するあまりの無知か、医療機関の機能が麻痺することへの危機管理のなさとしか言えない。
ちなみに昨年度末、群馬県保険医協会は、この医療現場軽視の説明会のあり方に対し、関東信越厚生局に改善要望書を手渡した。
また、当然予想される疑義解釈を残したままの新診療報酬体系の実施も、これまでずっと行われてきているが、これも厚労省の職務怠慢の一例であろう。
届出書類等では、医療機関にあれほどの書類の提出期限、記載事項の厳守を求めているにもかかわらず、である。
さて、冒頭で触れたが、厚労省の言では、今次改定は僅少(もちろん厚労省はこの表現はしていない)とはいえ、実質プラス改定だという。
しかし、たとえ点数が上がったとしても、厚労省としては医療費抑制のために打つ手はいくらでもある。
ある医療行為に対し、疑義解釈の仕方で、実質的に保険の適用から外すといったことはこれまでも何度となく経験している。成文化されていない内容の解釈にバイアスがかけられ、いとも簡単に結果が変わり、現場はそれに従わざるをえない。患者が受ける医療行為が、その一言で変わってしまうのである。
また、同省によると決して萎縮診療を強いるものではないとしている集団的個別指導等で、保険医の医療業務を心理的にもコントロールし、結果的に医療費を抑制することも可能だ。
こういった形での医療費抑制がいかに保険診療を歪め、結果として患者にマイナスに作用するか、厚労省はその責任の重さについて謙虚に自覚する必要がある。
診療報酬は、医療機関の、そして医師、歯科医師の収入に直結する。
医師、および歯科医師の所得については、いろんな見方がある。
あえて個人的な見解を述べる。
他職種と比べことさら多い必要はないが、あまりに少ないと結局は患者にとってマイナスに働くと思っている。
技術料の評価が不当に低ければ、たとえば医科では不要な検査投薬で採算を合わせる傾向が生じ、歯科では必要以上の歯の切削や保存可能な歯の抜歯といった過剰介入、あるいは自費診療への強引な誘導で経営を守ろうとする傾向が生まれる。
医療行為の評価に現状に合わないバイアスがかかると、必要な処置が控えられ、必要のない処置が増えることにもなる。
これは医療制度による、医原性の患者の健康被害につながる。
不要な検査や薬漬け、保存すべき歯への侵襲から患者を解放することが真の健康への道筋でなければならない。
患者を目の前にして、経営のための最善の医療でなく、患者のQOL向上のための最善の医療を実践できるような、そんな医師の所得であり、診療報酬体系でなくてはならないと思う。
診療報酬改定のたびに細目の増減が行われ、それによる現場の不満が聞かれる。保険医の気持ちとしては、あまりに細かい増減ならばかえってしないでほしい、それより実情に合わない制約等を見直し、医師の裁量権を認めてほしい、といったところが本音ではないだろうか。
朝三暮四の改定で、現場は振り回されている。もちろん、その影響を最も受けるのはとりもなおさず患者自身である。
長引く不況の中、国も財政難にあえいでいる(ように見える)。
限られた財政下で、何を削減し何に投資するかは、時の政府の将来への展望いかんにかかっているが、その信頼度がどうにもおぼつかない。
国や行政が国民の信頼を得るために、無駄な帳尻合わせに知恵を絞るより、この国の医療はどこに向かうのか、大きな展望を我々や患者に示してほしい。
その中で、根拠のある細目を語ってほしい。
「医療を守るため」といった美辞麗句で、当の医療を形骸化するような愚策だけは繰り返して欲しくない。
医療機関の待合室で患者が自分の番を待つとき、あと○分というメドが立つと待ち時間が我慢できるという。
「時間」という展望が持てるからである。
国民にも「めざす医療」の展望を示して、安心を与えてほしい。
この安心感だけでも、大きな社会保障になりうるのではないだろうか。
(群馬保険医新聞2010年4月号「論壇」の草稿をそのまま記載)
|