「歯医者で歯を抜かれた」という表現をよく耳にします。
もちろん事実なのでしょうが、歯科医としてはちょっと複雑な思いがします。
たとえば、
「胃ガンをとられた」とか、「胆石をとられた」あるいは、「盲腸をとられた」という表現はあまりせず、「とった」という言い方をします。
「歯を抜いた」という言い方もなくはありませんが、こと「歯」に関しては、深い意味はないのでしょうが「抜かれた」という受動態(受け身)の表現が一般的に使われます。
何か、本人の意志に反して抜歯が行なわれたように感じるのは、歯科医の思い過ごしでしょうか。(笑)
できるだけ歯を抜かずにもたせたいというのは、多くの歯科医の正直な気持ちだろうと思います。
10人が見て10人とも抜歯が第一選択というか、抜歯するしかないというケースでは、正直あまり悩むことはありません。
でもそんなケースでも、ご本人が「どうしても残したい」との思いが強い場合には、「抜きましょう」とはやはり言えません。よほどの問題がない限り、「抜いて下さい」というまで待ちます。
一番悩むのは、むし歯でほとんど根だけしか残っていない場合や、進行を食い止めることはできるものの、他の健康な歯と同様というわけにはいかない重度の歯周病の場合です。
つまり、いつまでもたせられるか予測しにくい歯では、本当に悩むのです。
こういう場合は、その歯に対するご本人の執着と言いますか、思い入れにおつき合いさせていただくことにしています。その歯がご本人の口の中であまり邪魔にならないように、誤解を承知で言えば、「だましながら、なだめながら」もたせることも少なくないのです。でも中には、こちらの予想(?)に反してしっかりしたり機能を回復する歯もありますから、だから簡単には抜きたくないのです。
一病息災とはよくいったものです。
本来は、ひとつ病気があるがゆえに、それをバロメーターにして摂生するという意味ですが、場合によってはひとつの病気とうまくつき合っていくという意味にもとれます。
不安要因のある(しっくりこない)歯をきっぱり抜いて、義歯やブリッジを入れたり、最近ならインプラント(人工歯根)にすれば、お互いどんなに楽かと思います。
それで悩みが解消し、楽しく食事や会話ができることで精神的肉体的な健康をえられれば、それはそれでひとつの正しい選択かもしれません。
でもまた一方で、少し問題を抱えた歯を大事にし、一病息災でおだやかに生活していくことができれば、これも正しい選択かもしれません。
ここまでくると、価値観の問題でしょうか。
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