共存について
2006. 12月
かつての日本(中世以前)では、寺院の建立のたびに、そして災害後の都市の復旧のたびに大量の森林が伐採され、そのまま放置されました。
江戸時代になってから、一度壊された自然は、そのままでは決して元に戻らないというその過ちに気づき、資源再生のための植林をするようになったそうです。
漁業でも、技術が発達するにつれ、まさに一網打尽という言葉通り、その漁場の水産資源を枯渇させてしまう程、獲り尽くす力を身につけてしまいました。。
そこで近年では、自ら漁獲量や時期に制限を設けたり、一方で資源を積極的に増やすための養殖技術を駆使するようになってきました。
これらは、限りある資源を枯渇させないための、そして同時に人間の営みを停止させないための知恵というべきでしょう。
さて、人間社会ではどうでしょうか。
エコロジーが進む一方で、大手企業の中には寡占をめざしたり、弱肉強食を肯定する向きも少なくありません。
社会主義は、資本主義の欠点を補うべき社会制度としてこの世に登場しましたが、ソ連をはじめ東欧諸国が、半世紀あまり社会主義国家の熟成を試みましたが、残念ながら多くは欠点を克服できず挫折しました。
しかしこのことは、資本主義社会が究極の社会制度であるという結論には結びつかないと思います。
資本主義の根本は利潤の追求であり、ライバルとの競争に勝ち、その勝者が敗者の資産を飲み込むことによりさらなる競争力をつけるというプロセスが続きます。そして、自らの活動圏内に覇権の対象がなくなった時、資源や市場を海外に求めようとし、そこで文化経済面の衝突も起こりうるわけです。世界大戦を含め、これまで起こった戦争も多くはこれらの衝突が原因となっています。
自然界では、弱肉強食という現実が支配しているわけですが、たとえ強者であっても「足るを知っている」というか、必要以上には殺生を行なわないわけです。これが自然界の共存の原理なのです。
でも人間社会の現実は、残念ながらこの「足るを知る」という、自然界の原則すら守られていない、もしくは守りにくいものになってしまいました。
環境破壊に警鐘を鳴らしながら一方で京都議定書をボイコットしたアメリカ、自ら核を保有しながらその他の国には核保有を許さないいわゆる先進国、これらはすべて、どこまで譲歩して、相手と共存するかという共存の原則から逸脱しています(私は核保有には反対です)。
「いざなぎを超えた好景気」と政府は自負していますが、バブル崩壊以降、多くの企業が、リストラの名の下に人員解雇で切り抜けた事実を忘れてはいけません。
解雇者を生めば企業の支出は減るでしょうが、社会的には税収や個人消費は減少し、一方で失業保険という支出や社会不安は増大します。つまり、社会全体や個人に不利益をもたらしながら企業が生き延びた結果がこの「好景気」なのです。ただ、この間生まれたワークシェアリング(仕事を従業員間で分け合う)の考えは、共存の一つの形ではないかと思います。
石油の枯渇が現実味を帯びるなか、社会のこと、地球のことを将来(未来)にわたって考えることが大切ではないでしょうか。
私たちも、社会と共存する歯科医療とは何か、社会に認知される歯科医療とは、そして社会に貢献できる歯科医療とは何か、謙虚な気持ちで考えていきたいと思います。
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