医療の質の変化 Quality of Life
かつて、ヨーロッパではペスト、日本でも結核は大流行し、不治の病とされていた時代があります。そんな時代からつい10年程前までは、医療とは、病気や傷を治すこと、つまりCure(治療)が中心でした。世の中に病気が発生、蔓延していて、それに治療が追いつかない時代には、医療は、その疾病にかかった人、つまり患者の手当てがもっぱらの業務となりますし、世の中もそれを要求していました。「目の前の患者をなんとかして欲しい」と。
医学、医療技術の進歩、上下水道等の衛生設備の普及、国民の健康管理、食品の管理等の衛生知識の普及により、疾病自体が減少してくると、国民の関心の対象は今までとは違ってきます。もちろん、難病等に対する最先端の医療技術やそれに関する情報にも興味がありますが、多くの人は、疾病にかからないためにはどうしたらいいか、もしかかったとしても軽症のうちに発見治癒するにはどうしたらいいかということに注意を払うようになります。いわば、CureからCare(管理)への移行といわれ、これには、生活のゆとりということも大きくかかわっています。
生きるのが精一杯という条件下では、衣食住の中でもとりわけ「食」が最優先され、家族が食べていくためには、健康は二の次にされ、時には健康が犠牲にさえなることがあります。健康が犠牲になって初めて、それが全てに優先されなくてはならないということに気づくことも多いものです。でもその時代には、そういう経過をたどることが、避けられなかったのかもしれません。現在日本は、生活環境、医療体制にさまざまな問題を抱えつつも、世界の中では衣食住がある程度のレベルに達しているといえるでしょう。
この現状の中で、人々は「とにかく生きたい」という願いから、生きるということの質を考えるようになってきました。これは、「どう生きるか」ということですが、もっと具体的には「苦痛から解放されて生きたい」「生きる喜び(希望)を持ちながら生きたい」「人間としての尊厳を持ちながら生きたい」「自分の存在感を感じながら生きたい」「人と心のつながりを持ちながら生きたい」等、人間としていろんな要求が出されます。
このことは、最近では「Quality of Life」クオリティー・オブ・ライフという言葉で表現されています。ここでは、心臓が動いているとか、脈があるといった生物として「生きている」こととは違い、その程度、満足度を機械等で測定することはほとんど不可能です。すなわち、客観的には同様な状況下でも、本人の満足度はそれぞれ違うはずです。したがって、客観的な評価より、ある意味で主観が重視されるという言い方もできます。
「最低限度の人間らしい生活」というものも人によって異なりますが、現在の社会の状態に照らし合わせて、必要条件は常識的な線で一応出せるはずです。そしてこれを保障するのは国の責任です。その中で、どれだけ価値ある人生を送れるか、次号でいっしょに考えていきましょう。少なくとも、他人まかせにしていては決して実感することはできないということはいえそうです。
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