10月31日、用事を済ませ、午後から久しぶりに赤城山の覚満淵に行ってきました。
登る途中は紅葉真っ盛り、上に着くとすっかり晩秋の風情でした。
寒いかなと防寒の支度をしていったのですが、思いの外暖かく、気温だけは中秋の赤城山でした。
趣味の事を書いたブログです
10月31日、用事を済ませ、午後から久しぶりに赤城山の覚満淵に行ってきました。
登る途中は紅葉真っ盛り、上に着くとすっかり晩秋の風情でした。
寒いかなと防寒の支度をしていったのですが、思いの外暖かく、気温だけは中秋の赤城山でした。
そうだったのか語源㊱ —日本の地名 その1 北海道から—
以前、語源⑬で国名の由来について触れたことがあった。
灯台下暗しで、日本の地名についてもっと早くきちんと扱うべきだったと、今更ながら思う。日本人として、自国の地名の由来くらい知っていて損はなかろう。
まずは北の北海道から。
都道府県で、北海道だけ都でも府でも県でもなくなぜ「道」なのか。
「道」とは、律令国家の地方行政の基本区分だったそうである。中国のそれに倣い、日本では7世紀後半に成立した。
当時の都、つまり京都に近い山城、大和、河内、和泉、摂津を畿内(きない)五カ国とし、それ以外を東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道に分けた。これを五畿七道と言った。この「道」は、道=みち以外に、それを含む周辺の広域な地域をも意味していた。ただしこの当時、この「道」の中に北海道は含まれていない。
明治2年(西暦1869年)太政官布告前、北海道は蝦夷が島(えぞがしま)、あるいは蝦夷地(えぞち)と呼ばれていた。「蝦夷」とは華夷(かい)思想に基づく異民族をさす。華夷思想とは中華思想と同意で、中国(=華)が世界の中心で、それ以外を文化の低い夷狄(いてき)とする思想である。
それまで北の国境の意識は薄かったが、当時ロシアの進出を意識し、明治政府より新名称をつけるべきとの意見が上がった。新名称候補として、日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島が上がった。
そのうち、北加伊の「加伊」を「海」と変更し、七道で馴染みのあった「道」をつけ、北海道としたそうである。ちなみに「加伊(カイ)」は、アイヌの古い言葉で「この地に生まれた人」という意味があるという。
さて、北海道には常用の音訓読みでは読みにくい地名が多いが、これは北海道の市町村名の約8割がアイヌ語由来のためである。漢字で表記されているものが多いが、これは全くの当て字で、読みは元のアイヌ語に似せているものの漢字自体の意味はない。
よく知られている地名を挙げてみる。
札幌は、アイヌ語の「サッ・ポロ・ペッ=乾いた大きな川」から。小樽は、「オタ・オル・ナイ=砂浜の中を流れる川」、苫小牧は、「ト・マク・オマ・ナイ=沼の奥にある川」、室蘭は、「モ・ルエラニ=小さな下り坂のあるところ」、稚内は「ヤム・ワッカ・ナイ=冷水のある沢」、そして知床は「シレトク、またはシレトコ=地の果て」といった具合だ。
大雑把に言って、「別」「幌」「内」がつくとアイヌ語で川や沢を、「平」は崖を指すようである。
函館について。
室町時代に、津軽の豪族が函館山の北斜面の宇須岸「ウスケシ=『入江の端』『湾内の端』を意味する『ウスケシ』・『ウショロケシ』」に館を築き、その形が箱に似ていることから「函館」と呼ばれるようになったとの説がある。他に、アイヌ語の「ハクチャシ=浅い、砦」に由来するとの説もある。
帯広は、アイヌ語の「オペレペレケプ=川尻がいくつにも裂けているところ」がなまって「オベリベリ」、それが帯広になったと考えられている。
ちょっといわくのある地名に旭川がある。道内札幌に次ぐ人口第二の大都市である。市内を流れる川をアイヌが「チュプペッ」と呼んでいた。これには「忠別」の漢字を当てた(現在も忠別川と呼ばれている)が、意味は「太陽の川」で、意訳すると「日が昇る川」、そしてこの意味を尊重して「旭川」と命名した(1890年)。アイヌ語に由来する北海道の地名としては、漢字が表意である稀なる例である。一方この「ペッ」が川を意味しているので、忠別川は川を意味する字が重複していることになる。
もっとも、利根川を「Tonegawa River」と英訳するのであるから、間違いとは言えまい。
テレビドラマ「北の家族」で脚光をあびるようになった、美しい風景で有名な富良野。
名前の由来は、アイヌ語の「フラヌイ=臭・もつ・所」が転訛したとする説が有力。市を流れる富良野川が硫黄の臭気を含むことによると言われている。
日本では珍しいカタカナで表記されるニセコ。
町を流れる尻別川の支流であるニセコアンベツ川のアイヌ語名「ニセイコアンペッ=絶壁・に向って(峡谷)・いる・川」の前の部分をとったものとされている。
では、なぜ他の地名のように漢字の当て字で表記せず、カタカナで表記されているのか。
明治以降、アイヌ語の漢字化が行われたが、ニセコについてはサロマ湖等と同様、漢字を当てても定着せず、カタカナのままの表記が定着したとされている。
釧路もアイヌ語由来ではあるが、諸説紛々あるため、ここでは割愛させていただく。
さらに、北海道の北にある樺太(からふと=サハリン)は、アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ=神が河口に造った島」に由来し、そこから「カラプト」そして「からふと」になったとされている。
樺太の東に広がるオホーツク海。この「オホーツク」はロシア語で「狩猟」を意味し、ロシアのハバロフスク地方にある人口約3000人の小さな町の名に由来する。
返還問題が長年続く北方四島だが、これらの呼び名もアイヌ語に由来している。
歯舞は「ハ・アプ・オマ・イ=流氷が退くと小島がそこにある所」、色丹は「シ・コタン=大きな村」、択捉は「エトゥ・ヲロ・プ=岬のある所」、そして国後は「クンネ・シリ=黒い島→黒い島、あるいはキナ・シリ=草の島」とされている。
最後の国後の当て字は、まさに言い得て妙である。
今期の冬は暖冬だとか。
でも3月も半ばになろうとする今、三寒四温などではなく、体感的には五寒二温といったところ。
それでも、今週末から春めくようですが。
庭のクリスマスローズが今、満開です。
かなり人工的に殖やしたように見えますが、一部を除きほとんどがこぼれ種で増えたもの。
クリスマスとはいうものの、この辺りでは大体2月末から3月が見頃です。
花がまだ少ない今、この花の存在は貴重です。
つい先日は夏日という、2月としては記録的な暖かさでした。
一転して今日は予想最高気温4℃とその差21℃、季節が2、3ヶ月逆戻りしてしまいました。
寒い朝でしたがまだ雨が降っていなかったので7時前に庭に出てみたら、冷え切った空気の中、なんとセミのツクツクホウシが鳴いているではありませんか。
まさか、と思いながら聞いていると、今度はウグイスの鳴き声が聞こえました。ウグイスはまだ季節的には早く、特にこんな寒い日に出てくることは滅多にありません。
声のきこえる方をじっとみてみると、電線に一羽のモズが。
鳴くたびに小さく尾羽が動きます。つまり、声の主はモズだったのです。
モズは獲ったカエルなどを柑橘類やバラなどの棘に刺しておく「早贄=はやにえ」が有名ですが、他の鳥などのモノマネもするんですね。嬉しい発見でした。
それにしても、夏のツクツクホウシの鳴き声を半年過ぎた今でも記憶しているとは驚きです。
そういえば、モズは漢字では「百舌」あるいは「百舌鳥」と書きますが、このものまねの習性に因んでいることに、あらためて合点がいきました。
遅ればせながら、師走のCDコンサートのご報告をします。
師走の—と形容詞はついていますが、今年は11/26(日)の開催でしたから、厳密には、霜月のCDコンサートでした。
ここのところ、新型コロナ、ウクライナ危機、イスラエルとパレスチナの紛争等、人類にとって深刻な出来事が頻発しています。
だからこそ、忙しい中にも皆で集い、それぞれの思いを語りながら音楽を聴く、CDコンサートの意味を改めて感じました。
今回は常連のメンバーに加え、初めての方も2名、計8名であの狭いリビングで開催しました。
ということで、今回のプログラムについて簡単にコメントします。
まずC.P.E.バッハのソナタト短調、これは、遅れての参加の方もあったのであとに回しました。それだけ、ぜひとも聴いて欲しい曲でした。
C.P.E.バッハは1714-1788の生存で、晩年はモーツァルトと被ります。
あの大バッハの次男ですが、本人の名付け親はなんとテレマンです。本人も自分の音楽の師はテレマンと言っています。大バッハとしては何とも複雑な心境だったでしょう。
ともかく、聴いていただければバロックではなく、古典派あるいはロマン派に近いメロディではないでしょうか。そして3楽章全て短調というのはかなり稀有です。
次に武満徹の合唱曲を取り上げました。
武満は偉大な作曲家ではありますが、日本人でもなかなか理解しにくい、あるいは入り込めない作曲家でもあります。が、合唱曲に関してはとても親しみやすく、私は今回の一番のメッセージはウクライナ危機、中東危機で、反戦主義の私としては反戦メッセージとして、「死んだ男の残したものは」を熱くお伝えしました。ちなみに私は最大の自国防衛は外交だと考えています。
さてLaymisは、当県高山村での屋外のコンサートを聴いて、ラテンアメリカのストレートな発声に感動したのでCDに入れました。この感動は、ライブで聴かないと伝われないかもしれませんが。
最後のモーツァルトは、CDコンサートの開催の動機、つまりモーツァルト没後200年の1991が今CDコンサートの開催のきっかけだったので載せました。
以下、プログラムを記載いたします。
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さて、春先にポポーの花が咲いたご報告をしました。
その後、チョコレート色の花は次々に落ち、ポポーの実を食するのも儚い夢かと諦めていました。
で、たまたまポポーの木の「異変」に気づいた家内が「実がなってる!!」と興奮して言ったので、早速現場に駆けつけてみると、見事、正真正銘のポポーの実がなっていました。
あとで味見をしようと思いますが、この調子でいけば、来年は「–個」と、今から捕らぬ狸の皮算用をしています。
私たちは、中学生の頃から国語や英語の文法を勉強し始める。いやこれは過去形で、今はもっと前倒しになっているのかもしれない。しかしだからといって、現代の子供たちが日本語や英語により造詣が深くなったという感覚は残念ながらあまりない。
さて文法、つまり文章の規則を授業で聞かされ、それは当然そういうものだという既成概念として学習してきた。文法に使われる用語の意味、なぜそう呼ぶのかなどと考えていたら授業としては進まない。ノルマとは残酷なものだと思う。
そして、授業というものから解放された年齢になり、改めて用語の意味を再考してみるのは、無責任でもあるがなかなか興味深い。これが当事者意識のない自由というものだろうか(笑)。
ではそもそも文法とは。
ある辞書には、
「言語を文・語などの単位に分けて考えたとき,そこに見られる規則的な事実。文法的事実。そしてその事実を体系化した理論。」
とある。
要するに、文や語に関する法則と考えてよかろう。
その法則を体系化するために、用語を命名、分類したものを品詞と捉えることができる。
まず初等レベルで、主語と述語。
主語は、「何が」「誰が」を示すもので、主体に当たることからわかりやすい。
述語とは、主語の行動や状態を表現する言葉である。「述」は訓読みで「のべる」で、主語の動作や状態を述べるという理解で問題なさそうである。
日本語では、述語には動詞、形容詞、そして形容動詞等が使われる。
一方、英語ではこの述語に当たるものは必ず動詞で、動詞はさらに一般動詞とbe動詞に分けられる。前者は動作を、後者は状態を表す。日本語の感覚からすると、状態を表すものも動詞というのが面白い。
「It is beautiful.」というように、状態をbe動詞で形容している。
次に、日本語の大きな特徴に助詞という品詞がある。
ある辞書には助詞について、
「付属語のうち、活用のないもの。 常に、自立語または自立語に付属語の付いたものに付属し(文法的に重複のように思えるが)、その語句と他の語句との関係を示したり、陳述に一定の意味を加えたりする。」とある。
この助詞は文法的には実に秀逸で、これがあるおかげで、主語や述語の位置を変えても意味が通じるのだ。
「私は学校に行きます」を「行きます、私学校に」と言っても日本人ならばおそらく通じるが、「I go to school.」を「go I school to.」では英語圏ではまず???であろう。言葉の理解を助ける、まさに助詞なのである。日本人は全く意識なく使っているが、まさに文章の助っ人である。
さて、最近では小学生のうちから英語を学ぶようである。日本語もろくに使いこなせないうちから外国語を学ぶことには賛否両論あろう。
それはさておき、英語を理解するための日本語の文法用語に、意味不明な用語がある。
まずは「分詞」について。
現在分詞や過去分詞などがあり、動詞が形容詞や副詞としての用法を併せ持つとされ、つまり動詞でありながら状態を表すということである。
ところで分詞という言葉だが、何が「分かれた言葉」なのだろうか。
実は、分詞は英語ではparticipleというが、これはラテン語で「共有」や「参加」を意味する「particeps」が語源となっている。英語のparticipate(=参加する、共有する)と同源であろう。あること(物)に参加することで共有が生まれることから、これ自体は理解しやすい。
であるなら、分けるという意味を連想しやすい「分詞」より、「合詞」や「共詞」「併詞」「多用詞」等と命名したほうが、日本語として本来のparticipleの意味に近いような気がするがいかがだろうか。
次に、よくわからない品詞に「不定詞」というのがある。
ある辞書には、
「不定詞とは1人称単数、3人称複数など主語の人称や単数、複数などに限定されることなく、動詞に他の品詞(名詞・形容詞・副詞)の働きをさせる準動詞のことを指す」とある。中学生のレベルでは、理解しにくい説明ではないだろうか。
不定詞とは一般的に「to+動詞の原形」のことを指し、学校では「to不定詞」と習った記憶がある。そしてこの不定詞には、名詞的用法、形容詞的用法、副詞的用法の3つの用法があり、「主語、目的語、修飾語など、さまざまな役割を果たす」とある。
英語のinfinitiveが語源であり、形容詞のinfinite=無限の、無数の、限りないの意から派生していると考えられる。つまり、用法が色々あり、一つには定まらないから「不定」という形容詞を当てたのであろうが、主な用法は大別してほぼ3つに分類されていることからすれば、「不定」というほど曖昧な品詞ではないように思われる。
次に、「仮定法過去」という、これまた不可解な用語がある。
仮定法については、
「事実ではない主観的な想像や仮定の話をする際に用いる表現」と説明されているが、これは理解できる。
仮定法過去とは、現在の事実に反する仮想で過去形で表し、仮定法過去完了とは、過去の事実に反する仮想で過去完了形で表す、となっている。
問題は、なぜ現在の仮想を過去形で、そして過去の仮想を過去完了形で表現するのか、ということと、その呼称である。
仮定法過去についていえば、「現在の事実の反する仮想」を表現するために、現在から距離を置いた世界、つまり過去という時制(時間軸の前後関係)にずらす手法をとる、と説明されている。わかったようなわからないような—。
もっとシンプルに、「現在の事実に反する仮想」だから、タイムマシーンで過去に戻れたら現在の事実とは異なっていたかもしれないと、理屈をつければわからなくもない。
ただ呼称、つまり命名の仕方については、私自身今でも納得していない。
フランス語やイタリア語と違い、日本語は英語やドイツ語と同様で、名詞の前に形容詞が位置するのが普通である。
例えば、アルプスのモンブランはMont Blanc(仏)、Monte Bianco(伊)で形容詞は後ろにつくが、英語ではwhite mountain 、日本語では「白い山」と前に着く。
だから、「仮定法過去」といった場合、「過去」という名詞を「仮定法」が形容する形になってしまう。つまり、本質は「過去」ということになるが、現実には「過去」ではなく「現在の仮想」である。
ならば、呼称としては例えば「過去的仮定法」あるいは「過去型仮定法」とすべきではないだろうか。
皆さんから意見も是非伺いたい。
6月も半ば過ぎ、鬱陶しい季節になりました。
今日の最高気温は35℃と予想されています。
今年の夏はエルニーニョ現象の影響で、天候不順が心配されていますが、それにしても6月に35℃まで上がるのは、かなりきついです。
さて、大事に育てていたバラが2本茎にシワがよってしまい、1本は残念ながら枯れてしまいました。つい1ヶ月前まで綺麗な花を咲かせていたのに。
原因はわかりません。
でも、半ば諦めていたもう1本は、気づくとなんと、ベイサルシュートが土の中から出てきていました。こちらの気持ちが伝わったのでしょうか、まさに僥倖です。このバラは、30年ほど前に、親株から挿し木で育てたダブル・ディライトで、かなり大きくなり、左上に見えるグレーの部分も別れた株の一部です。
ダメかと思っても、すぐに諦めてはいけませんね。
バラから教わりました。
ゴールデンウィークの真っ只中。
今年の春は比較的、というか記録的に気温が高く、4月中に真夏日がありました。そのせいか、季節の移り変わりも早いように感じます。
いずれにしても、この時期は木々の葉も淡い影を落とし清々しい気分になれます。
一枚は玄関の上に葉を伸ばすハナミズキとヤマボウシです。青空のもと、命の芽吹きを感じます。
もう一枚はポポーの花です。
数年前にご近所さんからいただいたポポーの株が、今年初めてチョコレート色の花をつけました。
バンレイシ科の植物で、英語ではpawpawのスペルなので、ポーポーが正しいのかもしれません。アケビのような実をつけ、独特の甘い香りで、今度は結実を期待してしまいます。
二月も下旬になると、寒いながらも真冬に比べ日長を感じられるようになりました。
診療後、ふるえるような寒さの中ふと西の空を見ると、なんとも言えない素敵な光景が目に入りました。
すっきりとした上弦の月ももちろんですが、近くに瞬きをしない、つまり惑星と思しき星が2つ、音楽で言うとピアノとバイオリン、そしてチェロのトリオといった風情でしょうか、まさに絵になるような、いえ絵になっていました。
あとで調べてみたら、月のすぐ右上が金星、そしてずうっと上にあるのが木星とのことでした。
この構図のリズム感、どこかで見たおぼえがあり、記憶を辿ったところ、宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」にたどりつきました。皆さんのご感想、いかがでしょう。