ノボタン

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 お盆を過ぎても暑い日が続きます。秋はいつ来ることやら。
 そんな残暑のなかで元気に花を咲かせている植物を見ると、なぜか心和みます。
 以前、夏のイメージの花は?というお話をしましたが、大事な花をひとつ忘れていました。  
 今回ご紹介するノボタンです。
 カタカナで書くとまるで風情を感じませんが、野牡丹と書くといかがでしょう。
 実際にはボタンほど華やかではありませんが、暑い季節に柔らかそうな繊毛で覆われた淡い緑の葉の上に咲く、濃紺といいましょうか、濃い紫のこの花の色はほっとすほどの涼を運んでくれます。形もシンプルでとても品のいい花ですね。
 散った花びらもしばらく色褪せず、余韻を残してくれます。
 ちょっと小振りになりますが、四季咲きのものもあります。

モーツァルト その7 -ヴァイオリン・ソナタと「悪妻」についての一考-

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 「暑さ寒さも彼岸まで」とか申します。
 皆様、健やかに暑さを乗り切ることができましたか?
 梅雨の頃には冷夏を心配しましたが、どうしてどうして、立派な猛暑が訪れました。
 それはともかく、虫の音も心に沁みる季節となりました。
 虫の音というとスズムシ、コオロギ、あるいはキリギリスを連想しますが、これらの音は楽器で例えるならやはりヴァイオリンではないでしょうか。夏の間はときには暑苦しく響くこの楽器の音色はとても聞く気にならないと敬遠する向きもあるようですが、風に涼しさを感じる季節になると、不思議と波長が合うという経験をお持ちの方も多いかと思います。
 というわけで、ようやくヴァイオリン・ソナタをご紹介できる季節となりました。
 さてソナタとしては、ヴァイオリン・ソナタの他に、以前ご紹介したピアノ・ソナタもあればチェロ・ソナタ、フルート・ソナタ等々、その他に「・・・と・・・のためのソナタ」などといったものもあります。
 このうち、ピアノ・ソナタのみが器楽曲(独奏曲)のジャンルに属し、他は全て室内楽(小編成の合奏曲)に属します。
 なぜピアノだけが独奏なのかと疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
 ピアノは多くの楽器の中で最も表現力のある楽器だといわれています。音域、強弱の幅が圧倒的に広く、また左右の手で全く異なった旋律を同時に演奏することができます。したがって、ピアノ単独でも十分に表現力豊かな、変化に富んだ演奏が可能なのです。
 さて、ピアノ以外のソナタが、表現力を得るためにしたことが、とりもなおさず他の楽器との合奏という手法でした。
 相手として選んだ楽器は、ピアノやハープシコード(チェンバロ)がほとんどです。
 さて、またここで疑問が生じます。
 ヴァイオリン・ソナタを例にとると、圧倒的な表現力をもつピアノが相手だったら、肝心なヴァイオリンの存在がかすみはしないかと。
 そこで通常は、ピアノのパートはヴァイオリンのそれに比べては控えめで単純な旋律に仕上げられています。
 演奏する側にとってみれば、両者のバランス感覚といったものが演奏の出来を大きく左右します。この場合、ヴァイオリン奏者のその日の力量にピアノ奏者が合わせなくてはなりませんから、いわば後者が女房役といったところでしょうか。あえて誤解を恐れず俗な比喩をさせていただくなら、蚤の夫婦の奥さんが旦那を立てて男を上げさせるといったところでしょうか。
 クラシックが妙に浪花節調になったところで、長過ぎた「序」を終えたいと思います。
                * * *
 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、全部で32曲あります(諸説あります)が、そのうち10歳までの、いわゆる神童時代に書かれた16曲と、22歳頃から書かれた16曲に大きく分けられます。
 前者は、1750年代から80年代に流行した、いわゆる「伴奏付きのクラヴィーア・ソナタ」の形態をとっています。つまり、チェンバロ、またはピアノの独奏曲に、ヴァイオリンの簡単な伴奏をつけたもので、ヴァイオリンはあくまで「従」の役割だったのです。
 真の意味で「二重ソナタ」の形態になったのは、1782年以降に書かれた後期のソナタで、ピアノパートの比重が大きいとはいえ、ヴァイオリンの存在が不可欠となり、両者が互いにうたい合い、融け合って曲を成立させています。
                * * *
 ヴァイオリン・ソナタにまつわるエピソードをお話しましょう。
 1782年、モーツァルトは最愛の女性コンスタンツェと結婚します。ちなみにモーツァルトの父レオポルドや、姉ナンネルからの猛反対を受けました。
 史実上、コンスタンツェは「悪妻」として有名ですが、これは多分にレオポルドの目を通した評価によるところが大きく、当のモーツァルト自身にとっては生涯最愛の妻だったようです(妻に対する評価は配偶者である夫がすべきで、それが全てではないかと実感しました)。
 この妻と二重奏をするために、モーツァルトはヴァイオリン・ソナタを作曲しています。残念ながらこれらは全て未完に終わっていますが、モーツァルトの死後、コンスタンツェの依頼でシュタードラーによって補筆されています(K.402,403,396,372)。
 これこそ亡き夫への愛情もしくは敬意そのものではないでしょうか。
 さてもうひとつは、K.454の演奏に関するエピソードです。
 これは、レジーナ・ストリナザッキという当時の女流名ヴァイオリニストと共演するために書かれたものでした。
 モーツァルトは、演奏当日までピアノパートを完成することができず、本番では簡単なメモを前に演奏しました。そしてもっともらしく譜面を見ながら即興で演奏したモーツァルトを、臨席していたヨーゼフ二世があとでからかったと伝えられています。
                * * *
 さて、今回は曲の中身には触れませんでしたが、第2楽章がいかにもモーツァルトらしい(単純、明快、美しいという意味で)第24番ハ長調K.296、そしてこのジャンル唯一の短調で、珍しく深刻な曲想のK.304などが個人的には気に入っていてよく聴いています。一聴の価値はあるかと思います。
 ちなみに私の愛聴盤は、ヘンリク・シェリンク(V)、とイングリッド・へブラー(P)による、1969年〜72年録音のものです。この盤は、両者の絶妙なバランスを堪能できます。
   (1995年群馬県保険医新聞8月号に掲載されたものに加筆)

マシュマロ

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 「マシュマロ」といって何のことかわからないという人は、どちらかというと少数派ではないでしょうか。
 でも、多数派のほとんどの人は、まずあの真綿のようなふわふわのお菓子を思い浮かべるのではないかと思います。
 「アオイ科の植物でしょ?」といえる人は、かなり植物に造詣の深い方か、ガーデニング通、ハーブ通です。
 たしかに「マシュマロ」の名は、アオイ科の植物に由来しています。
 英語では、[mashmallow]と書きます。
 [mallow]とはアオイ科の植物の総称、[mash]とは[mashpotato]の[mash]、つまり「すりつぶした状態」をさします。
 何となく想像がつきますか。
 あの「マシュマロ」は、もともとは[mashmallow]の根をすりつぶして作ったものなのです。(今では、もっと量産できる小麦粉等を原料としているようですが)
 ですから、最初の「マ」にアクセントをつけて、「マシュマロウ」と発音する方が正しいようです。
 マシュマロウは、夏に小さな淡いブルーの花をたくさん咲かせます。
 葉は、ハーブとしても使われます。
 冬には枯れたようになりますが、種が落ちるせいか、必ず毎年新しい株が育ちます。
 同じ仲間に、コモンマロウやムスクマロウなどもあります。
  (写真はマシュマロウの花)

ベランダから

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 自宅のベランダの様子をご紹介します。
 写真は5月のゴールデンウィークの頃のものです。
 私が小学生の頃、2代前の家のちょうどこの辺からは、1km離れている両毛線の車窓に人の顔が見えたものでした(目もよかったんでしょうね)。祖父母は農家でしたから、2階のこの辺は蚕室の窓で、ここからよく外を眺めたものでした。
 その途中に見えるものは林と田畑ばかりでした。
 今では、100m前の国道50号線沿いにはお店が並び、そこから両毛線までは住宅が建ち並び、その向こうの景色は全く見えなくなり、すっかり都会!?になってしまいました。
 さて、このベランダですが、土を運んだ苦労話は以前触れました。
 5月は、バラが咲き乱れて一番きれいな季節です。
 少し写真の解説をします。
 手前にあるピンクの覆輪のバラは『ニコル』(フロリバンダ系)、
 右寄りの藤色(私は「小倉色」と呼んでいます)のものは『ショッキングブルー』(フロリバンダ系)、
 左隣の赤っぽいグラデーションは『ブリガートン』、
 左奥に見える黄色は『シャルロット』(イングリッシュローズ系)ーこれは有名なグラハム・トーマスによく似ています、
 その隣の濃い赤は『オクラホマ』(フロリバンダ系)、
 その上のピンクは『マリア・カラス』(ハイブリッド・ティー系)大輪
 左奥に見える茶色の鉢が直径60cmのものです。
 花がないときのバラは、葉を楽しむこともできます。
 それぞれ個性があって、色も微妙に違います。
 一般的に、花の色の濃いものは葉の色も濃く、白や黄色の薄いものは葉も明るいトーンのものが多いようです。

バラを食べた犯人の子孫!?

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 以前、次女が学校からもらってきたウサギにバラを食べられてしまったというお話をしました。
 このウサギは雄だったのですが、その後、「雄だから」という理由をつけて娘は今度は雌ウサギの子をもらってきました。今から思うと、どうやら確信犯だったようです。
 ですから、ある日、ケージの中にうごめく小さな生物を発見した時の驚きは相当なものでした。
 写真の3匹は、その生物の現在の姿です。
 待合室に写真を貼って、里親を探しています。
 でもかわいいでしょ?

モーツァルト その6  -名奏者ラムに捧げたオーボエ四重奏曲-

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 四重奏曲といえば、やはり中心になるのは弦楽四重奏曲でしょう。
 モーツァルトはその生涯に、23曲の弦楽四重奏曲(完成したものに限って)を作曲していますが、これらは幾度かの時期に集中して書かれています(モーツァルトは同じジャンルの曲を同時期にまとめて書く習性があります)。
 14才の時に最初の曲である第1番を書きますが、その後16才から17才にかけて12曲、26才から30才にかけて7曲、そして33才から34才にかけて3曲といった具合に。そしてこれらはその時期ごとにそれぞれ固有の特徴がみられます。
 3月にご紹介した4曲のフルート四重奏曲と今回ご紹介するオーボエ四重奏曲は、18才から25才の、いわば弦楽四重奏曲のブランクの時期に書かれています。
 そして、これら管楽器のための四重奏曲をはさんで、弦楽四重奏曲の内容が大きく様変わりしたことは実に興味深いことです。
 大方の研究者によると、それより以前のものは、ハイドンの影響を時には模倣といえるほど直接的に反映しているのに対して、それより後期のものは、モーツァルト独自のスタイルを確立していると評価されています。つまり、弦楽四重奏曲の分野で独自性を確立するのに、モーツァルトのような天才をもってしても10年という歳月が必要だったということです。
 このことで、私のような凡人は少し慰められたような気がして、天才モーツァルトに対してちょっぴり親しみを覚えます。
 いずれにしてもモーツァルトは、このオーボエ四重奏曲を作曲した1年後には、後期の四重奏曲の作曲にとりかかることになります。そして、その後二度とオーボエ四重奏曲に着手することはありませんでした。
 1778年、より条件のよい就職口を求めて、母親と共にマンハイムに赴いたモーツァルトは、当時自分のオーボエ協奏曲を演奏して人気を博していたオーボエ奏者、フリードリヒ・ラムと出会います。この時、父親に当てた手紙の中でも、奏者としてのラムを高く評価する下りが見受けられます。
 それから3年後、モーツァルトは自作のオペラの初演のためミュンヘンに赴きますが、くしくもミュンヘン宮廷オーケストラにメンバーとして加わっていたラムと再会し、その喜びがラムのためのオーボエ四重奏曲を書くきっかけになったとされています。そのためこの曲は、名奏者ラムのハイテクニックを余すところなく表現できる内容になっています。
 つまり、各パートのバランスを重んじる室内楽でありながら、独奏楽器を設定する協奏曲的な要素が強く感じられます。同様な性格をもった曲としては、クラリネット五重奏曲K.581が挙げられます。
 さて曲は、メヌエットを書く3楽章で構成されています。
 第1楽章は、田舎の朝を思わせるすがすがしい旋律で始まります。冒頭からオーボエのパートが際立っていますが、オーボエが朝を告げる鶏の「コケコッコー」に聞こえるのは私だけでしょうか。
 第2楽章は、弦楽器による物悲しい通奏低音的な旋律に乗って、途中からピアニッシモで、あたかも霧の彼方からゆっくり現れるようにオーボエが登場します。 
 1音を、よく息が続くと思うほど長く長く引っ張ります。オーボエという楽器のもつメランコリックな特徴がよく表現された、とても短く、それでいてとても印象的な楽章です。
 第3楽章は、再び快活な雰囲気に戻りますが、ここではオーボエのヴィルトオーゾ(名人もしくは巨匠)ぶりを発揮する旋律が目立ちます。
 なかでも、8分の6拍子による弦楽器の伴奏に対し、オーボエが2分の2拍子で進行する、いわゆる(ポリ・リズム)の部分が聴き所です。
 オーボエが主役になる曲は数えるほどしかありません。
 オーボエのもつ牧歌的な音色を堪能してみて下さい。
 印象に残っているのは、ハンスイェルク・シュレンベルガーとフィルハーモニアクァルテット・ベルリン(ベルリンフィルの主席奏者からなる四重奏団)のメンバーによる演奏ですが、オーボエ奏者としてハインツ・ホリガーが加わったものならどれでもお勧めです。
  (1995年群馬県保険医新聞7月号に掲載したものに加筆)

モーツァルト その5 -心地よい流麗さーディヴェルティメントニ長調-

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 今回は、セレナードとディヴェルティメントに触れてみたいと思います。
 これらはともに、モーツァルトの時代に愛好された祝典的な「機会音楽」(儀式などのイヴェントのための音楽)のジャンルに属するものです。
 セレナードは、日本語では「小夜曲」と訳されています。語源については諸説紛々あるようですが、一説によると、イタリア語の「夜」の意味「sera」から派生したといわれています。
 夜の音楽、つまり若者が、恋人の住む家の窓辺の下でギターやマンドリンを弾きながら愛の歌を捧げる、いわば小鳥のさえずりのような歌をそのように呼んだそうです(ですから大声ではいけない、小夜曲なのです)。 説得力がありますね。
 しかし18世紀のオーストリアでは、セレナードという音楽は語源とは大きく様変わりし、より大規模で華やかなものをさすようになりました。モーツァルトの時代には、結婚式などの私的な行事や公的な行事の際に、オーケストラによって野外で演奏される音楽を「セレナード」と呼ぶようになったそうです。しかし、基本的には夜の音楽だったようで、そういえば、あの有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などは、まさに「小夜曲」がその直訳であるような名称ですね。
 一方ディヴェルティメントは、元来「気晴らし」を意味していますが、日本語では「嬉遊曲」と訳されています。医学用語でも「diverticulum 」は「憩室」を意味していますから、本道からちょっと脇に入った「ほっと気が抜けるようなもの(所)」をさしているのでしょう。
 先にも述べたように、セレナードと類似のジャンルに属していますが、より編成の小規模なものをさすことが多いようです。
 とはいっても、ほとんどセレナードに近い編成のものから、室内楽のようにこじんまりとしたものまで色々です。
 今回はそのこじんまりとしたものの中から、モーツァルト自身が「ディヴェルティメント」と銘打った3曲、そしてとりわけ私が気に入っている1曲をとり上げてみたいと思います。
 これらは、ディヴェルティメントニ長調K.136、変ロ長調K.137、そしてヘ長調K.138の3曲で、1772年の作曲です。
 ディヴェルティメントは小規模だとはいっても普通は5〜6楽章からなる編成です。しかしこの3曲はどれもメヌエットなしの3楽章からなり、特にコンパクトな構成です。
 そして、どこまでも明るく澱みのない音楽であることも、一聴してモーツァルトの曲とわかる、これら3曲の魅力です。
 余談ながら、当時の社交的機会音楽に必須のメヌエットを欠いていたということは、厳密にいうと、これら3曲は本来ディヴェルティメントというジャンルから逸脱した存在といえるかもしれません。
 このうち、最も流麗なニ長調K.136は、学生時代に初めて聴いた時は、正直ほとんどインパクトはありませんでした。
 悩み多き青春時代、明るすぎ、美しすぎる曲には、一種の軽薄な印象を抱きこそすれ、決して同調はし得なかったような覚えがあります。しかし30歳を過ぎた頃からでしょうか、いつしかその「軽薄さ」が「軽快さ」に変わり、一日の疲れを癒してくれる滋養効果を醸してくれるようになりました。
 第1楽章はとにかく明るく軽快な旋律で、音符が五線譜の上を蝶のように飛び回っているという表現がまさにぴったりで、アンサンブル(楽器と楽器の絡み合い)が見事です。また、展開部のわずかな短調が塩味になっています。
 第2楽章は、アンダンテの3拍子、雨あがりの青空のようなすがすがしさが魅力的です。
 第3楽章の冒頭は、4小節のリズムの導入、それに続く旋律は第1楽章のそれによく似ていますが、小気味よく力強い旋律です。展開部のフーガが旋律の軽さを引き締めています。
 演奏者では、どこまでも精緻な演奏を聴かせるフィルハーモニアカルテット・ベルリン(ベルリンフィルの各パートの第一人者たちによる構成)、正確な中にも柔らかさをもったルツェルン弦楽合奏団による演奏が印象に残っています。
 コンパクトな曲ですから全体像がつかみやすく、ややもすると長大というイメージのクラシックのジャンルにおいては、とっつきやすい曲の筆頭にあげられると思います。
(写真はモーツァルト生誕の地-ザルツブルグ)
     (1995年群馬保険医協会新聞4月号に掲載されたものに加筆)

ベランダの肥料

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 以前、ベランダで大きなコンテナでバラ等を楽しんでいるというお話をしました。
 直径60cmのコンテナに培養土を入れるのは結構骨が折れます。
 最初の頃は、手すり越しにバケツにロープをつけて土を引き上げていました。
 その大きなコンテナも今では10個になり、そのほかにも11号鉢がいくつもという塩梅で、その手すり廻りはすでに満杯状態、残念ながら先ほどの方法は使えなくなりました。
 バケツに土を入れて、階段を上り下りしたこともあります。かなりの運動になり、時には腕がしびれてしまうこともありました。もちろん、この時に使うのは左手。診療に差し支えないためです。
 最近は寄る年波を考えて、なるべく負担のない方法をとっています。
 つまり究極の省エネ、リサイクルによる土とたい肥の循環です。
 バラ以外の植物の剪定した部分や枯れ葉等を蓋のできる容器に入れ、土といっしょに撹拌しておきます(バラの葉には細菌や病気が残っているため、これは廃棄します)。
 次から次へと土との撹拌を繰り返していくと、冬以外なら3か月ほどでいわゆるたい肥から腐葉土になってしまいます。実際に使うのはもう少しおいて熟成してから。下の方から取り出し、培養土として他の土に混ぜて使っています。
 土をベランダまで運び上げる手間と、枯れ葉や枝などをベランダから外まで運び下ろす手間が少し省けるようになりました。
 そしてなにより、ゴミの量が激減しました。
 バラの植え替えは、最高気温7℃以下の時期に、根についた土を全部洗い流してしまうというお話をしました。ところが大きなコンテナではこれもなかなか大変な作業になります。なんといっても1、2月のことですから。
 そこで私は妥協策として、コンテナ内の土を深いところまで部分的に掘り出し、そこに先ほどの土を入れるという方法をとっています。
 最善の方法ではありませんが、それでもバラは毎年元気にきれいな花を咲かせてくれます。
 一度お試しあれ。

モーツァルト その4 -ピアノソナタは夏の冷やしそう麺-

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さて今回はK.331、つまりピアノ・ソナタ第11番 通称「トルコ行進曲付き」について、思い出をまじえながらお話したいと思います。
余談になりますが、この季節(夏)にピアノ・ソナタをご紹介するのは、それがクラシックというジャンルで蒸し暑い夏でも聴ける希有な存在だからです。
たとえば、ブラームスやブルックナーの交響曲を聴くと、それだけで上着を一枚着込んだような気分になるのは私だけでしょうか(冬には暖房効果があります)。
ピアノ・ソナタは私にとっていわばクラシックにおける「冷やしそう麺」なのです。(随分俗っぽい話になりましたね)
ピアノという楽器は、モーツァルト生涯で、最も深く関わりを持った楽器といえるでしょう。3歳で和音の演奏を始め、5才でピアノの小品を作曲しています。そして、ピアノだけのために書かれた曲だけでも100曲あまりが知られています。
またモーツァルトの時代は、ピアノにとっても重要な意味をもっています。すなわちピアノという楽器が大きく変化をした時代なのです。
弦を鳥の羽根の硬い部分で引っかいて音を出すチェンバロ(別名:ハープシコード、クラヴサン)から始まり、弦をハンマーでたたくピアノ(ハンマークラヴィーア、フォルテピアノ)へと変身していったのです。ちなみにピアノとは、フォルテに対するピアノで、もともとはフォルテピアノ、つまり音の強弱が表現できるところにその名前の由来があるそうです。
たしかにチェンバロという楽器は音の大きさがほぼ一定でしたから、ピアノの登場は革命的なことだったのでしょう。そしてフォルテピアノと呼ばれるようになってからも改良に改良を重ね、現在のような「最も表現力のある楽器」としてその地位を確保し、独奏楽器の代名詞になったようです。
前置きが長くなりましたが、モーツァルトの独奏用ピアノ・ソナタは18曲が現存しています。そのほとんどは3楽章で構成され、第1、第2楽章はソナタ形式(主題の提示部、展開部、再現部、終結部で構成)、第3楽章はロンド形式(反復主題部と挿入部の交替で構成)か、ソナタ形式をとっています。(要するに、音楽とは一見感覚的に作られているようですが、実はかなり論理的に構成されているのです)
どの曲も耳触りがよいため、「体が自然にメロディを受け入れてしまう」という表現が妥当かと思われます。
個人的には、第8番イ短調、第10番ハ長調、第11番イ長調、第12番ヘ長調、第14番ハ短調、第15番ハ長調、第17番ニ長調といったところが好みですが、これだけ挙げると名曲紹介の意味がないかもしれません。(笑)
その中から、最もポピュラーな第11番イ長調K.331をとり上げてみます。
この曲はモーツァルトの全作品中、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第40番と並び、最も知名度の高い曲のひとつです。
しかし、ピアノ・ソナタといいながら、ソナタ形式の楽章を全くもたないという特異な構成をしています。
第1楽章は、思わずハミングが出そうな優雅な主題と、それをもとにした6つの変奏から構成されています。モーツァルト得意のヴァリアティオン(変奏)の世界が繰り広げられます。
第2楽章は、トリオ付きのメヌエットで、ちなみにメヌエット楽章をもつピアノ・ソナタはこの曲と第4番の2曲のみです。いかにも堂々とした冒頭部分と、それに続く繊細で可憐なメロディが印象的です。
第3楽章は単独でも演奏される有名な「トルコ行進曲」です。なぜトルコなのかと思いませんか? この楽章はイ短調ですが、長調と短調が目まぐるしく交錯し、これが異国情緒を醸し出しています。それで当時異国の代名詞であったトルコの地名が冠されたといわれています。
ところで、この曲が作曲された1783年は、くしくもウィーンがトルコ軍の攻撃に勝利を収めてから100周年にあたる年です。この前年にモーツァルトは、トルコを舞台としたオペラ「後宮からの誘拐」を書き、そしてこの年に「トルコ行進曲」を書くといった、トレンディな「受け」を狙ったと思える形跡があります。
このK.331で思い出すのは十数年前、今は亡き偉大な漫画家手塚治虫氏がFM番組に登場し、生で「トルコ行進曲」を弾いていたことです。
氏は、医学生時代の思い出を語りながら、その頃よく弾いていたというこの曲を演奏したのですが、やや遅めのテンポで実に見事に聴かせてくれたのを今でもはっきり覚えています。
CDでのお薦めは、日本より世界で活躍している内田光子、アルフレッド・ブレンデルの演奏などは、いいスタンダードになるでしょう。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏は、行進曲の部分の表現が風変わり(耳慣れない表現)で、評価の分かれるところでしょうか。
夏の宵に、ぴったりの曲としてご紹介しましたが、隣近所の迷惑にならないよう、防音にはくれぐれもご配慮を。  (写真はモーツァルトが愛用したピアノ)
(1995年6月群馬県保険医協会新聞に掲載したものに加筆)