金木犀と銀木犀

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 こう書くと何のことかわりませんが、キンモクセイとギンモクセイと書けば、「ああ」ということになりますか。
 さて、「君の瞳は○○万ボルト」という歌の中にも、「キンモクセイの咲く道を」というフレーズがあります。
 春のジンチョウゲ(沈丁花)と秋のキンモクセイは、その季節の訪れを実感させる香りの季語の代表でしょう。
 私はキンモクセイというと、運動会をすぐに連想してしまいます。
 運動会当日の緊張した心とキンモクセイの甘酸っぱい香りが、条件反射のように分ちがたく結びついていて、今でも小中学校の頃の思い出が鮮やかに蘇ってきます。
 もっとも最近の子どもにキンモクセイの香りで連想するものは?とたずねると、なんと「トイレ」だそうです。   さもありなん。
 キンモクセイはモクセイ科の常緑樹で、中国原産の観賞用植物、雌雄異株で、日本のものは全て雄株で結実しないそうです。ツバキやサザンカに似た堅い葉をしていますが、確かに実を見たことはありません。
 花は鮮烈な香りの割りに見た目は地味ですが、3,4mmの橙色の4弁の花びらで耳かきの先を4つ集めたような愛らしい形です。
 全く同じ形で花の色が白いものはギンモクセイと呼ばれます。前者に比べ、香りはやや控え気味で花も目立たないのですが、全体の佇まいはどことなく風格があります。
 庭のキンモクセイの花をマクロで撮ってみました。

モーツァルト その8   -廃墟に漂う音楽-

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 大学の2.3年生の頃(1976-1977年)、久しぶりに帰省して、NHKのドラマを見ていました。
 内容はよく覚えていませんが、西東三鬼(さいとうさんき)という歯科医であり俳人である人物がドラマの主人公でした。たしか、三鬼役の小林桂樹が、第二次大戦で焼け野原となった街をとぼとぼと前こごみになって歩いている場面があり、そこに字幕で俳句が映し出され、BGMとしてモーツァルトの曲が流れていました。
 しかしながら、そこに流れている曲がモーツァルトのものであるとは、当時は全く知りませんでした。
 それよりも、歯科医が主人公(ドラマの中では歯科医より俳人であることのほうが重要なのですが)として登場する場面が珍しく、また印象的だったのです。
 話が本筋から外れますが、医師が主人公として登場するドラマは枚挙に暇はありませんが、歯科医が登場するものは、クローニンの「城塞」など、数えるほどしかありません。しかも、歯科医業がメインの場面として設定されたものはほとんどありません。
 歯科医業とは、一般の方から見るとそれほどに迫力に欠け、あるいは日常生活に入り込んでいないものなのかと思うと残念です(実は、毎日結構スリルを感じながら治療を行っているんですけどね)。
 閑話休題。
 この時に流れていた曲が、弦楽五重奏曲ト短調K.516だったということはあとになってわかりました。
 セピア色のモノトーンの画面、あちこちから煙のくすぶる廃墟という場面に、これ以上ふさわしい音楽はないと思うほど見事な選曲だったのです。
                *   *   *
 さてこの五重奏曲は、1787年(つまりフランス革命の2年前)に書かれましたが、この年には、この少し前に同じく弦楽五重奏曲のハ長調K.515が書かれています。
 ちなみにこの翌年1788年に、有名な最後の二つの交響曲、40番ト短調と41番ハ長調「ジュピター」が作曲されています。
 もうお気づきですね。
 順番こそ逆ですが、ほぼ同じ時期に同じ調性で同じジャンルの曲が2曲ずつ作曲されているというのは実に興味深いと思いませんか?
 そもそもモーツァルトという作曲家には、ひとつのジャンルの曲を何曲か続けて作曲するという習性があるようです。
                *    *    *
 作品の構成は以下の通りです。
第1楽章  アレグロ ト短調
第2楽章  メヌエット アレグレット ト短調
第3楽章  アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調
第4楽章  アダージョ ト短調-アレグロ ト長調

 まず第1楽章の、上昇し、その半音階的に下降する第1主題の、あえぐような休符の使い方が、聴く者にただならぬドラマチックな内容を期待させます。
 小林秀雄をして、「疾走する悲しみ」と表現せしめた、問題作の楽章です。
 第2主題の調性は変ロ長調ですが、最後は再び短調になり「疾走」していきます。そして、あえぐような上昇と下降を繰り返すコーダで閉じられます。
 第2楽章は、弱拍に複雑な響きの和音がフォルテで鳴らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。一度耳にすると忘れられない、なんともいえない響きです。
 そのあとに続くトリオは、雲間からのぞく青空のような明るさと輝きをもっていますが、再び現れる暗雲によってすっかり隠されてしまいます。
 第3楽章は弱音器つきで演奏されますが、感情の高揚が終わったあとの、脱力感を伴った心の安泰のように響きます。
 しかし、まもなく無気味な変ロ短調のシンコペーションが始まり、その後再び編ロ長調と、目まぐるしく転調し消えていきます。
 そして第4楽章は、ト短調のかなり長い序奏で始まります。
 例の、廃墟をあてもなくさまよう西東三鬼の後ろ姿に最もふさわしいのがこのパッセージです。
 この重いアダージョのあとに、一転して明るく軽快なロンド、そしてフィナーレへと澱むことなく続きます。
 モーツァルト研究家のアインシュタインはこのフィナーレを、「慰めなき長調」という表現をしていますが、私にはそこまで聴き込む力はありませんが、重い枷がはずれたあとの「自由」とか「開放感」といった気分を感じます。
 皆さんはいかがお感じになりますか?

 さて演奏では、ヨセフ・スークを伴ったスメタナ四重奏団、フランツ・パイヤールを伴ったメロス四重奏団のものが印象的でした。
  (1995年群馬県保険医新聞9月号に掲載したものに加筆)

ランという植物

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 NHKの『地球・ふしぎ大自然』という番組が好きで、ほとんど毎回欠かさず見ています。
 9/6放送のこの番組で、メキシコの熱帯雨林に生息する「バケツラン」というランを紹介していました。英語ではbacket orchidというのでしょうか。
 実に不思議な生態をもったランで、知能があるのではと思わせるような巧みな技で、厳しい環境の中で生き抜いていました。
 よくランは、「最も進化した植物」といわれます。
 ランには、この地球上で最もあとから現れた植物ゆえの宿命があるのです。
 地上のおよそ植物が生息できる場所という場所は、他の先住植物によって占拠されているわけですから、新参の植物はそれなりの工夫をしなければその世界に入り込めないのです。
 その意味では、地生(地面に生える)ランと着生(他の植物に付着して生える)ランに大別されるランのうち、特に後者の着生ランがより優れているといえます。
 ちなみに前者の代表格としてはシンビジウム、デンドロビウム、後者の代表格はカトレア、ファレノプシス(胡蝶蘭)が有名です。
 着生ランは、自分の居場所として、なんと高い木の枝を選んだのです。これこそ、地上の生存競争の厳しい場所をあえて避けた頭脳プレーなのです。
 カトレアの根は、他の木などにしがみつくための機能と空気中の水分を吸収する機能をもっています。ですから、湿度を含んだ空気があれば、特に水をやらなくても生き続けることができるのです。
 その他、種の保存の面でもかなりの知恵を身につけています。
 たとえばハンマーオーキッドというランは、花弁の中にあるハチの雌の形そっくりの突起をもっていて、雄のハチが交尾しようとその突起につかまると、その突起がハチごとまるでハンマーを振るようにしなってハチの体に花粉をつけるという仕組みになっています。
 前置きが長くなりましたがこの「バケツラン」、香水のような香りで雄のハチを惹きつけます。しかも最も芳香を強く発する部分は下向きになっているのです。ハチはすべって、リップ(ランの花弁で、一番下に位置するもの)とよばれる花弁が変化したバケツ状の器の中に落ちます。この中には、ラン自らが貯めた液体が入っていて、ハチはその中で必死にもがきます。食虫植物のウツボカズラに似ていますが、この液体はハチを溶かしません。ハチにはもう一仕事してもらわなくてはならないのです。
 この容器には一か所だけハチが這い上がる足がかりになる部分があり、そこにハチが辿り着くと、今度は狭い通路があり、そこをやっとの思いでハチが抜け出る時、最も狭い部分にあった花粉がハチの背中に確実に付着するようになっているのです。
 それだけではありません。花粉はアリにも運ばれるのです。花粉はアリの巣まで運ばれるとそこで発芽、発根し、ありの巣を取り囲むように成長します。ありの巣はランの根でしっかりと固定され、ランはアリにより、害虫から守られるという共生の関係を築いているのです。
 ここまで徹底した生き残りの技を身につけたランがいたのには脱帽です。
 明日からのランの世話にもまた興味が湧いてきました。   (写真はファレノプシス=胡蝶蘭)

ノボタン

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 お盆を過ぎても暑い日が続きます。秋はいつ来ることやら。
 そんな残暑のなかで元気に花を咲かせている植物を見ると、なぜか心和みます。
 以前、夏のイメージの花は?というお話をしましたが、大事な花をひとつ忘れていました。  
 今回ご紹介するノボタンです。
 カタカナで書くとまるで風情を感じませんが、野牡丹と書くといかがでしょう。
 実際にはボタンほど華やかではありませんが、暑い季節に柔らかそうな繊毛で覆われた淡い緑の葉の上に咲く、濃紺といいましょうか、濃い紫のこの花の色はほっとすほどの涼を運んでくれます。形もシンプルでとても品のいい花ですね。
 散った花びらもしばらく色褪せず、余韻を残してくれます。
 ちょっと小振りになりますが、四季咲きのものもあります。

モーツァルト その7 -ヴァイオリン・ソナタと「悪妻」についての一考-

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 「暑さ寒さも彼岸まで」とか申します。
 皆様、健やかに暑さを乗り切ることができましたか?
 梅雨の頃には冷夏を心配しましたが、どうしてどうして、立派な猛暑が訪れました。
 それはともかく、虫の音も心に沁みる季節となりました。
 虫の音というとスズムシ、コオロギ、あるいはキリギリスを連想しますが、これらの音は楽器で例えるならやはりヴァイオリンではないでしょうか。夏の間はときには暑苦しく響くこの楽器の音色はとても聞く気にならないと敬遠する向きもあるようですが、風に涼しさを感じる季節になると、不思議と波長が合うという経験をお持ちの方も多いかと思います。
 というわけで、ようやくヴァイオリン・ソナタをご紹介できる季節となりました。
 さてソナタとしては、ヴァイオリン・ソナタの他に、以前ご紹介したピアノ・ソナタもあればチェロ・ソナタ、フルート・ソナタ等々、その他に「・・・と・・・のためのソナタ」などといったものもあります。
 このうち、ピアノ・ソナタのみが器楽曲(独奏曲)のジャンルに属し、他は全て室内楽(小編成の合奏曲)に属します。
 なぜピアノだけが独奏なのかと疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
 ピアノは多くの楽器の中で最も表現力のある楽器だといわれています。音域、強弱の幅が圧倒的に広く、また左右の手で全く異なった旋律を同時に演奏することができます。したがって、ピアノ単独でも十分に表現力豊かな、変化に富んだ演奏が可能なのです。
 さて、ピアノ以外のソナタが、表現力を得るためにしたことが、とりもなおさず他の楽器との合奏という手法でした。
 相手として選んだ楽器は、ピアノやハープシコード(チェンバロ)がほとんどです。
 さて、またここで疑問が生じます。
 ヴァイオリン・ソナタを例にとると、圧倒的な表現力をもつピアノが相手だったら、肝心なヴァイオリンの存在がかすみはしないかと。
 そこで通常は、ピアノのパートはヴァイオリンのそれに比べては控えめで単純な旋律に仕上げられています。
 演奏する側にとってみれば、両者のバランス感覚といったものが演奏の出来を大きく左右します。この場合、ヴァイオリン奏者のその日の力量にピアノ奏者が合わせなくてはなりませんから、いわば後者が女房役といったところでしょうか。あえて誤解を恐れず俗な比喩をさせていただくなら、蚤の夫婦の奥さんが旦那を立てて男を上げさせるといったところでしょうか。
 クラシックが妙に浪花節調になったところで、長過ぎた「序」を終えたいと思います。
                * * *
 モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、全部で32曲あります(諸説あります)が、そのうち10歳までの、いわゆる神童時代に書かれた16曲と、22歳頃から書かれた16曲に大きく分けられます。
 前者は、1750年代から80年代に流行した、いわゆる「伴奏付きのクラヴィーア・ソナタ」の形態をとっています。つまり、チェンバロ、またはピアノの独奏曲に、ヴァイオリンの簡単な伴奏をつけたもので、ヴァイオリンはあくまで「従」の役割だったのです。
 真の意味で「二重ソナタ」の形態になったのは、1782年以降に書かれた後期のソナタで、ピアノパートの比重が大きいとはいえ、ヴァイオリンの存在が不可欠となり、両者が互いにうたい合い、融け合って曲を成立させています。
                * * *
 ヴァイオリン・ソナタにまつわるエピソードをお話しましょう。
 1782年、モーツァルトは最愛の女性コンスタンツェと結婚します。ちなみにモーツァルトの父レオポルドや、姉ナンネルからの猛反対を受けました。
 史実上、コンスタンツェは「悪妻」として有名ですが、これは多分にレオポルドの目を通した評価によるところが大きく、当のモーツァルト自身にとっては生涯最愛の妻だったようです(妻に対する評価は配偶者である夫がすべきで、それが全てではないかと実感しました)。
 この妻と二重奏をするために、モーツァルトはヴァイオリン・ソナタを作曲しています。残念ながらこれらは全て未完に終わっていますが、モーツァルトの死後、コンスタンツェの依頼でシュタードラーによって補筆されています(K.402,403,396,372)。
 これこそ亡き夫への愛情もしくは敬意そのものではないでしょうか。
 さてもうひとつは、K.454の演奏に関するエピソードです。
 これは、レジーナ・ストリナザッキという当時の女流名ヴァイオリニストと共演するために書かれたものでした。
 モーツァルトは、演奏当日までピアノパートを完成することができず、本番では簡単なメモを前に演奏しました。そしてもっともらしく譜面を見ながら即興で演奏したモーツァルトを、臨席していたヨーゼフ二世があとでからかったと伝えられています。
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 さて、今回は曲の中身には触れませんでしたが、第2楽章がいかにもモーツァルトらしい(単純、明快、美しいという意味で)第24番ハ長調K.296、そしてこのジャンル唯一の短調で、珍しく深刻な曲想のK.304などが個人的には気に入っていてよく聴いています。一聴の価値はあるかと思います。
 ちなみに私の愛聴盤は、ヘンリク・シェリンク(V)、とイングリッド・へブラー(P)による、1969年〜72年録音のものです。この盤は、両者の絶妙なバランスを堪能できます。
   (1995年群馬県保険医新聞8月号に掲載されたものに加筆)

マシュマロ

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 「マシュマロ」といって何のことかわからないという人は、どちらかというと少数派ではないでしょうか。
 でも、多数派のほとんどの人は、まずあの真綿のようなふわふわのお菓子を思い浮かべるのではないかと思います。
 「アオイ科の植物でしょ?」といえる人は、かなり植物に造詣の深い方か、ガーデニング通、ハーブ通です。
 たしかに「マシュマロ」の名は、アオイ科の植物に由来しています。
 英語では、[mashmallow]と書きます。
 [mallow]とはアオイ科の植物の総称、[mash]とは[mashpotato]の[mash]、つまり「すりつぶした状態」をさします。
 何となく想像がつきますか。
 あの「マシュマロ」は、もともとは[mashmallow]の根をすりつぶして作ったものなのです。(今では、もっと量産できる小麦粉等を原料としているようですが)
 ですから、最初の「マ」にアクセントをつけて、「マシュマロウ」と発音する方が正しいようです。
 マシュマロウは、夏に小さな淡いブルーの花をたくさん咲かせます。
 葉は、ハーブとしても使われます。
 冬には枯れたようになりますが、種が落ちるせいか、必ず毎年新しい株が育ちます。
 同じ仲間に、コモンマロウやムスクマロウなどもあります。
  (写真はマシュマロウの花)

ベランダから

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 自宅のベランダの様子をご紹介します。
 写真は5月のゴールデンウィークの頃のものです。
 私が小学生の頃、2代前の家のちょうどこの辺からは、1km離れている両毛線の車窓に人の顔が見えたものでした(目もよかったんでしょうね)。祖父母は農家でしたから、2階のこの辺は蚕室の窓で、ここからよく外を眺めたものでした。
 その途中に見えるものは林と田畑ばかりでした。
 今では、100m前の国道50号線沿いにはお店が並び、そこから両毛線までは住宅が建ち並び、その向こうの景色は全く見えなくなり、すっかり都会!?になってしまいました。
 さて、このベランダですが、土を運んだ苦労話は以前触れました。
 5月は、バラが咲き乱れて一番きれいな季節です。
 少し写真の解説をします。
 手前にあるピンクの覆輪のバラは『ニコル』(フロリバンダ系)、
 右寄りの藤色(私は「小倉色」と呼んでいます)のものは『ショッキングブルー』(フロリバンダ系)、
 左隣の赤っぽいグラデーションは『ブリガートン』、
 左奥に見える黄色は『シャルロット』(イングリッシュローズ系)ーこれは有名なグラハム・トーマスによく似ています、
 その隣の濃い赤は『オクラホマ』(フロリバンダ系)、
 その上のピンクは『マリア・カラス』(ハイブリッド・ティー系)大輪
 左奥に見える茶色の鉢が直径60cmのものです。
 花がないときのバラは、葉を楽しむこともできます。
 それぞれ個性があって、色も微妙に違います。
 一般的に、花の色の濃いものは葉の色も濃く、白や黄色の薄いものは葉も明るいトーンのものが多いようです。

バラを食べた犯人の子孫!?

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 以前、次女が学校からもらってきたウサギにバラを食べられてしまったというお話をしました。
 このウサギは雄だったのですが、その後、「雄だから」という理由をつけて娘は今度は雌ウサギの子をもらってきました。今から思うと、どうやら確信犯だったようです。
 ですから、ある日、ケージの中にうごめく小さな生物を発見した時の驚きは相当なものでした。
 写真の3匹は、その生物の現在の姿です。
 待合室に写真を貼って、里親を探しています。
 でもかわいいでしょ?

モーツァルト その6  -名奏者ラムに捧げたオーボエ四重奏曲-

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 四重奏曲といえば、やはり中心になるのは弦楽四重奏曲でしょう。
 モーツァルトはその生涯に、23曲の弦楽四重奏曲(完成したものに限って)を作曲していますが、これらは幾度かの時期に集中して書かれています(モーツァルトは同じジャンルの曲を同時期にまとめて書く習性があります)。
 14才の時に最初の曲である第1番を書きますが、その後16才から17才にかけて12曲、26才から30才にかけて7曲、そして33才から34才にかけて3曲といった具合に。そしてこれらはその時期ごとにそれぞれ固有の特徴がみられます。
 3月にご紹介した4曲のフルート四重奏曲と今回ご紹介するオーボエ四重奏曲は、18才から25才の、いわば弦楽四重奏曲のブランクの時期に書かれています。
 そして、これら管楽器のための四重奏曲をはさんで、弦楽四重奏曲の内容が大きく様変わりしたことは実に興味深いことです。
 大方の研究者によると、それより以前のものは、ハイドンの影響を時には模倣といえるほど直接的に反映しているのに対して、それより後期のものは、モーツァルト独自のスタイルを確立していると評価されています。つまり、弦楽四重奏曲の分野で独自性を確立するのに、モーツァルトのような天才をもってしても10年という歳月が必要だったということです。
 このことで、私のような凡人は少し慰められたような気がして、天才モーツァルトに対してちょっぴり親しみを覚えます。
 いずれにしてもモーツァルトは、このオーボエ四重奏曲を作曲した1年後には、後期の四重奏曲の作曲にとりかかることになります。そして、その後二度とオーボエ四重奏曲に着手することはありませんでした。
 1778年、より条件のよい就職口を求めて、母親と共にマンハイムに赴いたモーツァルトは、当時自分のオーボエ協奏曲を演奏して人気を博していたオーボエ奏者、フリードリヒ・ラムと出会います。この時、父親に当てた手紙の中でも、奏者としてのラムを高く評価する下りが見受けられます。
 それから3年後、モーツァルトは自作のオペラの初演のためミュンヘンに赴きますが、くしくもミュンヘン宮廷オーケストラにメンバーとして加わっていたラムと再会し、その喜びがラムのためのオーボエ四重奏曲を書くきっかけになったとされています。そのためこの曲は、名奏者ラムのハイテクニックを余すところなく表現できる内容になっています。
 つまり、各パートのバランスを重んじる室内楽でありながら、独奏楽器を設定する協奏曲的な要素が強く感じられます。同様な性格をもった曲としては、クラリネット五重奏曲K.581が挙げられます。
 さて曲は、メヌエットを書く3楽章で構成されています。
 第1楽章は、田舎の朝を思わせるすがすがしい旋律で始まります。冒頭からオーボエのパートが際立っていますが、オーボエが朝を告げる鶏の「コケコッコー」に聞こえるのは私だけでしょうか。
 第2楽章は、弦楽器による物悲しい通奏低音的な旋律に乗って、途中からピアニッシモで、あたかも霧の彼方からゆっくり現れるようにオーボエが登場します。 
 1音を、よく息が続くと思うほど長く長く引っ張ります。オーボエという楽器のもつメランコリックな特徴がよく表現された、とても短く、それでいてとても印象的な楽章です。
 第3楽章は、再び快活な雰囲気に戻りますが、ここではオーボエのヴィルトオーゾ(名人もしくは巨匠)ぶりを発揮する旋律が目立ちます。
 なかでも、8分の6拍子による弦楽器の伴奏に対し、オーボエが2分の2拍子で進行する、いわゆる(ポリ・リズム)の部分が聴き所です。
 オーボエが主役になる曲は数えるほどしかありません。
 オーボエのもつ牧歌的な音色を堪能してみて下さい。
 印象に残っているのは、ハンスイェルク・シュレンベルガーとフィルハーモニアクァルテット・ベルリン(ベルリンフィルの主席奏者からなる四重奏団)のメンバーによる演奏ですが、オーボエ奏者としてハインツ・ホリガーが加わったものならどれでもお勧めです。
  (1995年群馬県保険医新聞7月号に掲載したものに加筆)