今年もはや師走、奇しくもこの連載も12回で最後を迎えました。
最後にご紹介する曲を選び出すにつけ、悩んだ挙げ句、レクイエム K.626を取り上げることにしました。
12月は、主の誕生を祝福するクリスマスの月なので、レクイエム=鎮魂歌は場違いの感があるかもしれませんが、こじつければ全く根拠がないわけではありません。
K.626は、(ベートーヴェンの第9が12月に演奏されるのと同じ意味で)モーツァルトの作品中最後の番号がつけられていること、またこの曲の依頼主自ら指揮をした初演が1793年12月14日であること、そして何よりもその2年前の1791年12月7日の夜かもしくは翌朝、モーツァルトのなきがらが共同墓穴に埋葬されていることなどがその根拠といえなくもありません。
レクイエムは通常、「鎮魂ミサ曲」と和訳されていますが、本来は「レクイエム・エテルナム・ドーナ・エイス・ドミネ」の略で、語呂よく意訳すると、「主よ、彼らに永遠の安息を与えたまえ」となります。
死者のための安息を目的とする音楽は、生けるものにも安息を与えてくれるはずです。この曲は依頼があって書かれた作品であるにもかかわらず、死を予感したモーツァルト自身への鎮魂の意味があったのではないか、というまことしやかな一説まで存在しています。
ところが私自身、世俗的な性(さが)がそうさせるのかもしれませんが、この曲を聴いて魂が鎮まるという思いをしたことがほとんどありません。
むしろ後半のごく一部を除いて、生命の生々しさ、あるいは生きる厳しさと苦しみといったものを感じてしまいます。そして時には、修羅を連想することさえあります。
さて、この曲から映画「アマデウス」の最後の場面を思い浮かべる方は少なくないと思います。あの映画は、全場面を通じてモーツァルトの曲を流し続けていますが、それぞれの場面に対し、音楽は心憎いほど効果的な使い方をされています。
たとえば冒頭の、サリエリが自殺を図り、雪の降りしきる中を担架で運ばれる場面では、交響曲25番の第1楽章の冒頭が引用され、事件を予感させます。また、里帰りをした妻コンスタンツェを迎えに行ったモーツァルトに彼女の母が罵声を浴びせるところでは、まくしたてる母親の口元をズームアップしながら、オペラ「魔笛」の夜の女王のアリアに移行するという見事な演出を見せてくれます。
レクイエムが流れるのは、モーツァルトの死期が近いことを予感させるあたりからです。里帰りをしたコンスタンツェがモーツァルトの容態が悪化したことを知り、4頭建て馬車で家路を急ぐ場面では、夕闇にシルエットで浮かび上がった馬車にレクイエムが流れます。その頃モーツァルトの家では、ベッドの上でモーツァルトがレクイエムの「コンフターティス(呪われし者)」の旋律を口述するのを、サリエリが必死に譜面に写す作業をしていました。この場面はかなりスリルがあります。
そして、コンスタンツェが到着するやいなや、モーツァルトは帰らぬ人になります。
モーツァルト縁(ゆかり)の人々が見守る中、簡素な葬儀が執り行われ、やがてモーツァルトの遺骸はひとり共同墓穴に運ばれ、そのまま「物」のように埋められます。
この間流れるのは、レクイエムの「ラクリモーザ(涙の日)」という、この上なく美しい曲です。ちなみに、それに続く「ドミネ・イエス(主イエス・キリスト)」と「ホスティアス(いけにえと祈りを)」でも、透き通るように美しい弦の旋律が流れます。
この映画では、サリエリ扮する「黒い服を着た男」が、金銭感覚に疎い貧困状態のモーツァルトに、高額な報酬をえさに、過労を強いるべくレクイエムの作曲を依頼する、そして、この過労がもとで、モーツァルトの病状が悪化し死に至るという、いわば間接的な計画殺人の設定になっています。いかにも小説然としていますが、事実はちょっと違っていたようです。
モーツァルトにレクイエムを依頼したのは、フランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトゥパハ伯爵という人物で、それは20歳で亡くなった妻の追悼ミサとしての依頼でした。モーツァルトの死の年、1791年のことでした。
この依頼主は、他人に作曲を依頼してはその楽譜を自分で写筆し、自作として私的なコンサートで発表するという、風変わりな趣味の持ち主でした。レクイエムの場合も例に違わず、そのためモーツァルトを訪ねるに際しては名前を伏せ、「灰色の服をまとった痩せた背の高い男」に依頼の書面を持たせたのでした。
映画が事実に同じなのは、この作曲がモーツァルトの死の前日まで続けられたということです。
未完となったこの曲は、その後宮廷楽長やモーツァルトの弟子、ジュースマイヤー(筆をとれなくなったモーツァルトの代筆をし、師の最期をみとったとされています)をはじめ、多くの作曲家によって加筆されています。したがって、モーツァルトの代表作であるレクイエムは、もし彼がこの曲を完成させていたならば、私たちが現在耳にすることができるレクイエムとはずいぶん様相を異にするものになっていたことでしょう。
こんなエピソードも、12月に聴くレクイエムをさらに感慨深いものにしてくれることでしょう。
さて、12回にわたって連載させていただいた独断と偏見に満ちたモーツァルト評も、このへんで最終楽章の幕を下ろしたいと思います。音楽に造詣の深い方々にとっては単なる紙面の無駄づかいではなかったかと危惧し、連載という過分の任を承諾したことを今さらながら恥ずかしく思います。たとえおひと方でもモーツァルトへのアクセスの参考にしていただけたなら、これ以上の喜びはありません。
長々とおつき合いいただき、ありがとうございました。
これにて駄稿を「はねたい」と思います。
(1995年群馬保険医新聞12月号に掲載したものに加筆)
モーツァルト その10 -戯れと粋(2)-
時すでに霜月、庭のハナミズキの梢にかろうじて残った葉が、やがて芝生の上に落ち、霜をまとう季節となりました。
この季節は黄昏時が長く、戸外で過ごすには寒く、また暗すぎます。したがって、読書や音楽鑑賞にはもってこいの季節ともいえます。
そういえば一説に、ヨーロッパ文化はこの長い黄昏時が育んだともいわれています。
そのヨーロッパ文化において、ユーモアとかエスプリといったものは人間らしさの根源的要素として、大変重要な扱われ方をしています。
さて、本題の「たわむれと粋」とはつまり、ユーモアの精神に他ならないわけですが、今回は後者の「粋」な曲を取り上げてみたいと思います。
グラスハーモニカという楽器をご存じでしょうか。
共鳴箱の上にグラスを横一列に並べ、その中に入れる水の量を加減しながら、水で濡らした指でグラスの縁をこすって音を出すものですから、楽器というよりいわば原始的な音遊びです。
ちなみに、やや大きめで薄手のワイングラスでやってみると、なかなか神秘的な音がします。
18世紀中頃、イギリスでポックリッチという人物が、「エンジェリック・オルガン(天使のオルガン)」という楽器を考案し、これが一世を風靡し、グラスハーモニカの原型となりました。
その後、ロンドンに外交官として滞在していたベンジャミン・フランクリンが、この原始的な楽器の発音原理を応用し、鍵盤楽器のように演奏できるメカニックな楽器を発明しました。
この楽器の魅力についてかのゲーテは、
「世界の深奥の生命を聴くようだ」と評しています。
そしてご多分に漏れず、この楽器のために曲を作る作曲家が数多く出ました。
しかし、楽器が壊れやすいこと、そして演奏者に過度の精神的負担がかかるとの風評のため、そして何よりも大会場での演奏会が実現するようになった結果、サロン向きな(音量の小さい)この楽器は、19世紀前半には演奏会場から全く姿を消してしまいました。
いかにも、貴族社会の象徴的な楽器という気がします。
そういえば、モーツァルトをはじめとする作曲家たちの多くには貴族のパトロンがついていたり、また作曲の依頼主はほとんどが貴族だったという状況からしても、この頃の音楽の誕生にとって貴族社会は決定的な要素だったことが理解できます。
さて、私たちの学生時代には、学生にとって民主主義社会こそが全ての基本であり、貴族社会のような専制的封建的な社会は悪しき象徴、という暗黙の通念がありました(アンシャン・レジームに反発するのは、いつの世も、学生の政治思想の出発点になるようです)。
しかし皮肉なことに、この憎むべき貴族社会がなければ我が愛すべきモーツァルトやバッハなどのすばらしい音楽を聴くことはできなかったともいえます。
ちなみに、1791年にモーツァルトはこの世を去っていますが、パリの民衆がバスチーユの牢獄を襲撃したのは2年前の1789年のことです。革命後、フランスの混乱は約10年間続きましたから、モーツァルトは生まれ変わったフランスを知る由もなかったわけですが、彼が革命をどうみていたのか、非常に興味あるところです。
話を戻しましょう。
モーツァルトは、1791年5月にこの楽器の名手としてウィーンを訪れた盲目の少女、マリアンヌ・キルヒゲスナー(当時19歳)のために五重奏曲と独奏曲を書きました。
演奏会は6月10日に開かれ、8月13日のウィーン新聞には次のような批評が掲載されました。
「・・・それから、音楽通なら誰もが次のように確信するようなハーモニカ(グラスハーモニカ)のための小品が演奏された。すなわち、ハーモニカはあらゆる楽器の中で最も高貴な楽器でありメランコリックで悲哀を帯びた感情よりも、むしろ喜ばしく、おだやかで、そして崇高な感情を呼び起こす楽器なのである。」
モーツァルトはフランクリンのタイプ、つまり鍵盤楽器のように演奏できるグラスハーモニカのために曲を作っていますが、この楽器は現存していないため、現在聴くことができるのは、残念ながらポックリッチのタイプで演奏されたもののみです。
したがって演奏が難しく、現在の完成度の高い楽器の演奏を聴き慣れている私たちの耳には、どうしても演奏が稚拙に響くのは致し方ないことでしょう。
それはともかく、「グラスハーモニカのためのアダージョとロンド ハ短調/ハ長調 K.617」は最晩年に作曲された曲の中でも傑作のひとつに挙げられています。グラスハーモニカの神秘的、そして天国的な響きもさることながら、フルートをはじめとするその他の楽器の旋律も大変魅力的な仕上がりをみせています。
この曲を聴きながら、しばし遠く浮き世から離れた世界に思いを馳せるというのも、なんと「粋」なひとときの過ごし方ではないでしょうか。
(写真はベンジャミン・フランクリンタイプのグラスハーモニカ)
(1995年群馬県保険医新聞11月号に掲載した原稿をもとに加筆)
モーツァルト その9 -戯れと粋(1)-
正直に告白しますが、今回はほとほと取り上げるテーマに困りました。
そこで、ちょっと風変わりなモーツァルトをご紹介して、賢明な読者の皆さんの驚いたお顔を想像して楽しんでみようと思います。
この「驚いた」には、「呆れた」という意味と「流石(さすが)」という意味を含んでいるつもりです。つまり、モーツァルトの作品の中にあって異端児的存在とでもいうべきものを選ぶことにしました。
ちょっととりとめのない内容になるかもしれませんが、よろしかったらおつき合い下さい。
先のテーマを二回に分け、とりあえず今回は「呆れた」曲のほうをご紹介します。
ヘ長調K.522「音楽の冗談」と聞いてご存じの方は、よほどのモーツァルト通か、とにかく変わったものなら何でも聞いてみようという好奇心旺盛な方とお察しいたします。
とにかく、モーツァルトほどの天才がよく後世に残したものだと思えるくらい、とんでもない曲なのです。
私がこの曲を初めて耳にしたのは、たしか21〜22歳頃だったと記憶しています。サークルの先輩のアパートを訪れたときでした。ちなみにこの先輩は以前ご紹介した先輩とは別人で、私より1歳年上でした。先の先輩との共通点は歯科の専門書以外の読書家だったこと、クラシックが好きだったこと、正義感が強かったこと、金銭的に裕福だったこと(よくおごってもらいました)、そして単位をよく取りこぼすことでした(かなり共通点がありますね)。
この先輩のアパートは、「青葉城恋歌」で歌われている広瀬川の畔で、窓の外の景色は仙台でもピカ一でした。一番大きな窓からは広瀬川の切り立った崖が目前でしたし、トイレの窓からは青葉山が見渡せました。
外の絶景に比べて部屋の中の散らかり様はこれまた絶句もので、1か月前に着用したと思われる下着類が、部屋のコーナーにまるで貝塚のようにうず高く裾野を作っていました。
閑話休題。
ある日先輩を訪ねると、彼はいたずらっぽい目をして、
「この曲の作者を当ててごらん」
と言ってかけてくれたLPが、実はこの曲だったのです。
第1楽章が始まりほどなく、バロックの誰かかあるいはモーツァルトの初期の作品であろうと選択肢をしぼることができました。
しかし、途中から何やらバランスの悪いメロディーが現れた瞬間、選択肢からモーツァルトは消えました。曲想の稚拙さとくどさに思わず鼻で笑ってしまいました。そういった箇所は随所にみられました。あとでモーツァルトの曲であることを聞いてがっかりしたことを今でもはっきり覚えています、モーツァルトがこんな曲を作るはずがないと。しかも31歳の時、つまりモーツァルトにとって成熟期から晩年にさしかかった頃のものであることを知り、ますます不可解になりました。
実はこの曲、副題が「村の音楽家の六重奏」となっていて、この題からすると演奏家(の技術)が稚拙のようにとれますが、作曲家が稚拙なのです。つまり、モーツァルトが稚拙な作曲家をからかって作った曲ととれますが、それにしてもそのからかい方がこれまたあまりにも稚拙で、モーツァルトらしいエスプリが微塵も感じられないのは私だけではないと思います。
モーツァルトは生来、彼の手紙などにもみられるようにスカトロジーな面があり、この曲の醜悪さはその表れではないかとの見方もできます。
そして最後が極めつけ、演奏者全員が全く別々の調の和音(不協和音などという上品なものではありません)で締めくくるのですが、まあ、興味がおありでしたらお試しあれ。
ただし、
「聴くんじゃなかった」
と後悔しても一切責任は負えませんのであしからず。
次回は一級品の「粋」をご紹介いたします。
(1995年群馬県保険医新聞10月号に掲載した原稿をもとに加筆)
シンビジウム
山茶花
今年も咲いてくれました
ファレノプシス(胡蝶蘭)
金木犀と銀木犀
こう書くと何のことかわりませんが、キンモクセイとギンモクセイと書けば、「ああ」ということになりますか。
さて、「君の瞳は○○万ボルト」という歌の中にも、「キンモクセイの咲く道を」というフレーズがあります。
春のジンチョウゲ(沈丁花)と秋のキンモクセイは、その季節の訪れを実感させる香りの季語の代表でしょう。
私はキンモクセイというと、運動会をすぐに連想してしまいます。
運動会当日の緊張した心とキンモクセイの甘酸っぱい香りが、条件反射のように分ちがたく結びついていて、今でも小中学校の頃の思い出が鮮やかに蘇ってきます。
もっとも最近の子どもにキンモクセイの香りで連想するものは?とたずねると、なんと「トイレ」だそうです。 さもありなん。
キンモクセイはモクセイ科の常緑樹で、中国原産の観賞用植物、雌雄異株で、日本のものは全て雄株で結実しないそうです。ツバキやサザンカに似た堅い葉をしていますが、確かに実を見たことはありません。
花は鮮烈な香りの割りに見た目は地味ですが、3,4mmの橙色の4弁の花びらで耳かきの先を4つ集めたような愛らしい形です。
全く同じ形で花の色が白いものはギンモクセイと呼ばれます。前者に比べ、香りはやや控え気味で花も目立たないのですが、全体の佇まいはどことなく風格があります。
庭のキンモクセイの花をマクロで撮ってみました。
モーツァルト その8 -廃墟に漂う音楽-
大学の2.3年生の頃(1976-1977年)、久しぶりに帰省して、NHKのドラマを見ていました。
内容はよく覚えていませんが、西東三鬼(さいとうさんき)という歯科医であり俳人である人物がドラマの主人公でした。たしか、三鬼役の小林桂樹が、第二次大戦で焼け野原となった街をとぼとぼと前こごみになって歩いている場面があり、そこに字幕で俳句が映し出され、BGMとしてモーツァルトの曲が流れていました。
しかしながら、そこに流れている曲がモーツァルトのものであるとは、当時は全く知りませんでした。
それよりも、歯科医が主人公(ドラマの中では歯科医より俳人であることのほうが重要なのですが)として登場する場面が珍しく、また印象的だったのです。
話が本筋から外れますが、医師が主人公として登場するドラマは枚挙に暇はありませんが、歯科医が登場するものは、クローニンの「城塞」など、数えるほどしかありません。しかも、歯科医業がメインの場面として設定されたものはほとんどありません。
歯科医業とは、一般の方から見るとそれほどに迫力に欠け、あるいは日常生活に入り込んでいないものなのかと思うと残念です(実は、毎日結構スリルを感じながら治療を行っているんですけどね)。
閑話休題。
この時に流れていた曲が、弦楽五重奏曲ト短調K.516だったということはあとになってわかりました。
セピア色のモノトーンの画面、あちこちから煙のくすぶる廃墟という場面に、これ以上ふさわしい音楽はないと思うほど見事な選曲だったのです。
* * *
さてこの五重奏曲は、1787年(つまりフランス革命の2年前)に書かれましたが、この年には、この少し前に同じく弦楽五重奏曲のハ長調K.515が書かれています。
ちなみにこの翌年1788年に、有名な最後の二つの交響曲、40番ト短調と41番ハ長調「ジュピター」が作曲されています。
もうお気づきですね。
順番こそ逆ですが、ほぼ同じ時期に同じ調性で同じジャンルの曲が2曲ずつ作曲されているというのは実に興味深いと思いませんか?
そもそもモーツァルトという作曲家には、ひとつのジャンルの曲を何曲か続けて作曲するという習性があるようです。
* * *
作品の構成は以下の通りです。
第1楽章 アレグロ ト短調
第2楽章 メヌエット アレグレット ト短調
第3楽章 アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調
第4楽章 アダージョ ト短調-アレグロ ト長調
まず第1楽章の、上昇し、その半音階的に下降する第1主題の、あえぐような休符の使い方が、聴く者にただならぬドラマチックな内容を期待させます。
小林秀雄をして、「疾走する悲しみ」と表現せしめた、問題作の楽章です。
第2主題の調性は変ロ長調ですが、最後は再び短調になり「疾走」していきます。そして、あえぐような上昇と下降を繰り返すコーダで閉じられます。
第2楽章は、弱拍に複雑な響きの和音がフォルテで鳴らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。一度耳にすると忘れられない、なんともいえない響きです。
そのあとに続くトリオは、雲間からのぞく青空のような明るさと輝きをもっていますが、再び現れる暗雲によってすっかり隠されてしまいます。
第3楽章は弱音器つきで演奏されますが、感情の高揚が終わったあとの、脱力感を伴った心の安泰のように響きます。
しかし、まもなく無気味な変ロ短調のシンコペーションが始まり、その後再び編ロ長調と、目まぐるしく転調し消えていきます。
そして第4楽章は、ト短調のかなり長い序奏で始まります。
例の、廃墟をあてもなくさまよう西東三鬼の後ろ姿に最もふさわしいのがこのパッセージです。
この重いアダージョのあとに、一転して明るく軽快なロンド、そしてフィナーレへと澱むことなく続きます。
モーツァルト研究家のアインシュタインはこのフィナーレを、「慰めなき長調」という表現をしていますが、私にはそこまで聴き込む力はありませんが、重い枷がはずれたあとの「自由」とか「開放感」といった気分を感じます。
皆さんはいかがお感じになりますか?
さて演奏では、ヨセフ・スークを伴ったスメタナ四重奏団、フランツ・パイヤールを伴ったメロス四重奏団のものが印象的でした。
(1995年群馬県保険医新聞9月号に掲載したものに加筆)
ランという植物
NHKの『地球・ふしぎ大自然』という番組が好きで、ほとんど毎回欠かさず見ています。
9/6放送のこの番組で、メキシコの熱帯雨林に生息する「バケツラン」というランを紹介していました。英語ではbacket orchidというのでしょうか。
実に不思議な生態をもったランで、知能があるのではと思わせるような巧みな技で、厳しい環境の中で生き抜いていました。
よくランは、「最も進化した植物」といわれます。
ランには、この地球上で最もあとから現れた植物ゆえの宿命があるのです。
地上のおよそ植物が生息できる場所という場所は、他の先住植物によって占拠されているわけですから、新参の植物はそれなりの工夫をしなければその世界に入り込めないのです。
その意味では、地生(地面に生える)ランと着生(他の植物に付着して生える)ランに大別されるランのうち、特に後者の着生ランがより優れているといえます。
ちなみに前者の代表格としてはシンビジウム、デンドロビウム、後者の代表格はカトレア、ファレノプシス(胡蝶蘭)が有名です。
着生ランは、自分の居場所として、なんと高い木の枝を選んだのです。これこそ、地上の生存競争の厳しい場所をあえて避けた頭脳プレーなのです。
カトレアの根は、他の木などにしがみつくための機能と空気中の水分を吸収する機能をもっています。ですから、湿度を含んだ空気があれば、特に水をやらなくても生き続けることができるのです。
その他、種の保存の面でもかなりの知恵を身につけています。
たとえばハンマーオーキッドというランは、花弁の中にあるハチの雌の形そっくりの突起をもっていて、雄のハチが交尾しようとその突起につかまると、その突起がハチごとまるでハンマーを振るようにしなってハチの体に花粉をつけるという仕組みになっています。
前置きが長くなりましたがこの「バケツラン」、香水のような香りで雄のハチを惹きつけます。しかも最も芳香を強く発する部分は下向きになっているのです。ハチはすべって、リップ(ランの花弁で、一番下に位置するもの)とよばれる花弁が変化したバケツ状の器の中に落ちます。この中には、ラン自らが貯めた液体が入っていて、ハチはその中で必死にもがきます。食虫植物のウツボカズラに似ていますが、この液体はハチを溶かしません。ハチにはもう一仕事してもらわなくてはならないのです。
この容器には一か所だけハチが這い上がる足がかりになる部分があり、そこにハチが辿り着くと、今度は狭い通路があり、そこをやっとの思いでハチが抜け出る時、最も狭い部分にあった花粉がハチの背中に確実に付着するようになっているのです。
それだけではありません。花粉はアリにも運ばれるのです。花粉はアリの巣まで運ばれるとそこで発芽、発根し、ありの巣を取り囲むように成長します。ありの巣はランの根でしっかりと固定され、ランはアリにより、害虫から守られるという共生の関係を築いているのです。
ここまで徹底した生き残りの技を身につけたランがいたのには脱帽です。
明日からのランの世話にもまた興味が湧いてきました。 (写真はファレノプシス=胡蝶蘭)