さて、これまでにピックアップし忘れたものを思い当たる限りオムニバス的に。
ちなみにomnibusのomni-には、全- 総- 汎-といった漢字が当てられている。そこから「乗り合いバス(自動車)」と和訳されている。ここでは、落ち穂拾いよろしく、取りこぼしたものの「寄せ集め」といった意味で使うこととする。
まず、コンサート等で使われるステージ。
ステージ(stage)とは、(俗)ラテン語の「staticum」という単語が語源で、「立つ空間」の意味になる。これは英語のstand、あるいはstance=スタンス(立場、姿勢、立ち位置)の語源でもある。
現在、英単語として「stage」と言った場合は、「足を付ける場所」「舞台」「位置」「段階」「時期」「演劇」などの意味を持つ。
次に、唐突だが「フラメンコ」について。
flamenco=フラメンコはご存知の通り、スペイン南部アンダルシア地方を中心とした伝統的な舞踊である。
この語源には諸説あるが、最も信憑性の高い説をご紹介しよう。
このflamencoというスペイン語は、英語で「炎症」を意味するinflammationと関係があるとされる。すなわち、この-flame-と英語で「炎」を意味するflame が同源ということである。炎症は燃えるようにジンジンと熱を持ち、一方フラメンコは心が燃えさかるような情熱的な舞踊だからこの名がついたとされる。
ちなみに、鳥のflamingo=フラミンゴもラテン語で「炎」を意味するflammaから名づけられたとされている。おそらく鳥の羽の色から連想されたものであろう。現在、和名では「ベニヅル」とされているが、明治時代にはより原語に近く、「火鶴」や「火烈鳥」等の漢字が当てられていた。それまでの日本のツルの清楚なイメージからすると、かなり強烈だったのであろう。
さて、音の速さのことをtempo=テンポという。これはイタリア語だが、英語のtimeに相当し、広義で時間のことを指す。
一方、解剖学の分野では側頭骨(頬から耳の前にかけての部分)のことをラテン語ではos temporaleという。このtemporaleには側頭あるいは側(横)-といった意味は全くない。
ラテン語のtemporaは「こめかみ」を指すが、これは同じくラテン語で「時」を意味するtempusに由来する。先ほどのtempoもここに語源がある。
ではなぜ、「こめかみ」と「時」が関係するのか。
諸説のうち説得力があるのは、こめかみの毛、つまり鬢(びん)が歳を重ねるにつれ最も早く白髪になり、人生の「時の流れ」を感じさせるから、というものである。メガネフレームの側頭部に触れるつるの部分も同義でtemple=テンプルという。
ちなみに、tempusには「切る」を意味するtem-に由来しているという説がある。つまり、「時の区切り」を意味し、獣肉を食べない「四句節」のtempora=時節に食した魚料理が天ぷらの語源となったというものである(これも諸説あり)。
その意味では、tempusを「時節」と和訳すれば、さもありなんと腑に落ちるのではなかろうか。
話題はまた変わるが、オペラは一般的には「歌劇」と和訳される。
ところがワグナーの作品の場合、オペラに分類されるものを楽劇と呼ぶ。
Musikdrama(独)の和訳だが、アリアに重きを置いたそれまでのオペラに対し、ワグナーは音楽と劇の進行をより一体化、融合させたものを創作し、自らこの名をつけたとされている。
とはいえ、ワグナーの初期の作品は、内容的には従来のオペラ=歌劇のスタイルを踏襲している。厳密には、後期に作られた「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ニーベルングの指環」「パルジファル」の4作が楽劇のジャンルに属するとされている。詳しくは定かでないものの、誤解を恐れずにいえば、現在のミュージカルに近いものといえないだろうか。
音楽の演奏会で使われる「公演」とは、「公開の席で、芝居、舞踊、音楽などを演ずること」とされている。
フランス語では、昼公演(日中の公演)をMatinée=マチネと言い、原語の意味は、「朝」「午前中」「正午前」。これに対し夜の部をSoirée=ソワレと言い、日没から就寝までの「夜の時間帯」を指す。
オペラ観賞に使われるオペラグラスという双眼鏡がある。
オペラハウスで観劇用に使われたのが、その名の由来。
では、いわゆる双眼鏡との違いはというと、まずは小さくて軽いということ。
これは、その目的が観劇用なので、使っていても周囲の観客に迷惑がかからないことと、長時間保持しても疲れないことが重要である。そのため構造はシンプルで、2枚の凸レンズのみで構成されている。一方の双眼鏡は筒の中にプリズムが使われ、さらに凸レンズと凹レンズの組み合わせにより倍率を上げ、より遠くの物を鮮明に見ることが出来る。ただしその分、大きくて重い。
次に、「こけら落し」とは、新築、あるいは改築された新たな劇場で初めて行われる催しを指す。
元々の意味は、建築工事の最後に、屋根に残った木屑等を払い落とすことだった。
「こけら」には、「杮」「𣏕」「木屑」「鱗」等の字が当てられている。
前者3つが、材木をおのや鉋(かんな)等で削った時にできる削り屑や木片を指す。ちなみに、「杮」は果物の「柿」に似ているが、後者の旁(つくり)は市町村の「市」だが、前者のそれは縦棒が一本でつながっている。残りの「鱗」はこれらとは別で、魚などのうろこを指す。が、鱗も木屑に似ていないとはいえないので、ひょっとすると同源なのかもしれない。
ちなみに、歯科で歯石を除去することをscaling=スケーリングというが、元々は魚のscale=鱗を取り除くことを指していた。表面に付着した物を取り除く行為が似ているからであろう。
閑話休題。
工事で出た木屑等を片付けてきれいにする事と、きれいになった劇場での初公演を同一視してできた言葉ではないだろうか。 あるいは、「こけら落し後の初公演」を略して「こけら落し」としたのかもしれない。
次に、楽屋とはいかに。
一般的には、舞台の出演者が支度をしたり休息をとる控室を指す。しかし本来は、それだけでなく舞台裏、つまり衣装係や大道具、小道具係等のいる場所全体を指していた。
では楽屋の「楽」とは。
実は、舞(まい)を伴う雅楽である「舞楽」が由来とされている。雅楽は、奈良時代に朝鮮や中国から伝わった音楽や舞、あるいはそれを日本でアレンジしたものを指す。ちなみに、舞を伴わないものを管楽と言う。
舞楽の演奏者を楽人と言うが、この楽人が演奏をする舞台後ろの幕の内側を「楽之屋(がくのや)」と呼んでいた。これが楽屋の語源とされている。
その後、能が登場したが、能ではこの楽人に当たる演奏者を囃子方(はやしかた)と呼ぶ。囃子方はそれまでの楽屋ではなく、舞台上で演奏するようになり、次第に楽屋は演奏する場所ではなく、現在のように出演者の準備や休息をする場所を指すようになった。
さて、弁当でも使われる「幕の内」とは。
文字通り、芝居等での幕の内側、あるいは幕が閉まっている間=幕間(まくあい)をさす。ちなみに相撲界でいう幕の内力士とは前頭以上の力士、つまり、横綱、そして三役(大関、関脇、小結)、前頭までを指す。これは、幔幕(まんまく=土俵を囲むように、天井から張り巡らされる幕)の中に座を与えられたところからそう呼ばれているが、今回取り上げる「幕の内」とは直接の関係はないようである。
では幕の内弁当について。
まず舞台関係から生じた説としては、芝居で、役者や裏方に出していた(つまり幕の内)弁当を観客も食べるようになったから(場所に由来)、というもの。あるいは、役者が舞台裏=幕の内で食べる弁当だったから(人に由来)、という説もある。
別説としては、戦国時代、戦陣の幕の内で食べた弁当だから、というものがあるが、真偽のほどはいかに。
クラシックで、suiteは組曲と和訳される。
発音記号では[swiːt](スイート)あるいは[suːt](スーツ)となっている。
ちなみに、甘いものを指すsweet[swiːt](スイート)とは発音は同じでも全くの別物である。
ホテルなどの一続きの部屋を意味するスイートルームなどと同源で、今の日本語では、「セット」という言葉が本来の意味に近いかもしれない。
「全部で1セット」なので、家具や食器では馴染み深い。
服のスーツ=suitも同源で、同一の布でつくられる、二つ以上のピースからなる上下一揃(ひとそろ)いの服を言う。
それでは文字通り、最後に「フィナーレ」に触れておこう。
「フィナーレを飾る」などという。
これはイタリア語で「最後」を意味するfinale=フィナーレから。
音楽では、「終楽章」「終曲」と和訳される。
フランス映画では、おしまいにfinの文字が出る。英語のthe endの意味で「終わり」を意味するが、finaleと同源である。
イタリア語のfinaleには「決勝」の意味もあり、英語のfinal=ファイナル「最後の」と同源であることが理解できる。
触れず仕舞いのものも少なからずあるような心残りもあるが、とりあえずここまでとしたい。