さて、今回はこれまでの流れから趣向を変えて、会社名の生い立ちに触れてみたい。
そこには、まず、会社創立に際しての生い立ちと思いの丈が感じられる。
まず日本の会社名において、トヨタ、ホンダ、マツダ等、「○田」と、「田」がつくものが多いが、これは先祖が農民だったことがうかがい知れる。これらの名前には、明治から大正、昭和へと、当時産業革命の流れの中、農業から工業への産業形態の遷移を感じられる。
「スズキ」も創業者の苗字そのものである。
では「ダイハツ」は如何。これがなかなか興味深い。
ダイハツは、わが国で最も歴史の長い量産車メーカーで、大阪工業高等学校、のちの大阪帝国大学工学部(現大阪大学工学部)の研究者を中心に、発動機製造メーカーとして創立された。その後工業化の中、「発動機」を企業名につけるメーカーが次々と出現したため、顧客のほうでどこのメーカーか識別するために「大阪の発動機」と呼称するようになり、いつしか「大阪発動機」、縮めて「大発」つまり「ダイハツ」となったのである。
日産はご存知の通り、かつてのコンツェルンである「日本産業」に由来する。
マツダは創始者の松田重次郎の名前に由来するが、MATSUDAではなくMAZDAである。これは、自動車業界の英知を願って、ゾロアスター教の全知全能の最高神アフラ・マズダー(Ahura=主 Mazda=賢明)にかけて命名している。
ユニークなのは、光学機メーカーである。
「ニコン」は、日本光学工業株式会社から派生した命名である。ちなみに、もともとは光学兵器メーカーである。
「キャノン」は面白い。
観音菩薩の慈悲にあやかりたいとの思いから、当時試作機にKWANON」(カンノン)と命名した。1934年のことである。翌年、世界に通用するカメラメーカーとして社名をCanonとした。面白いのは、現在でも正式な日本語表記は「キャノン」ではなく、「キヤノン」(ヤは大文字)である。
次に、現在社名が「コニカミノルタ」となった、かつての「ミノルタ」に触れてみたい。
「ミノルタ」は創業当時、「Machinery and INstruments OpticaL by TAshima」という英語の文字からとったものとされている。この名は、創業者の田嶋一雄によって名づけられたものであるが、『稔る田(みのるた)』の意味も含んでいるとされている。創業者の母が、「稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい」と言っていたことを肝に銘じておきたかったからとも言われている。なかなかの命名である。
さらに面白いのは「ゼンザブロニカ」であろう。
知る人ぞ知る中判カメラの代名詞であるが、惜しまれつつも2005年に創業47年の歴史に幕を閉じた。
なんだかドイツのメーカーを思わせる社名であるが、れっきとした日本のメーカーである。
創業者は吉野善三郎。
彼の善三郎という名前と、ブローニーフィルム(中判カメラ用のフィルムの総称)を懸けて、「ZENZABRONICA」と命名した。
昨今知的財産の海外流出等が問題となっているシャープについて。
1915年、金属製の繰り出し鉛筆を開発した。その名はシャープペンシル。社名は一世風靡したこの自社製品の名に由来している。
ゲーム機のメーカーでは、セガとバンダイ、任天堂が面白い。
セガは、旧社名を「サービス ゲームズ ジャパン株式会社」といった。やや長く、覚えにくい名前である。そこで、Service Gamesの2文字ずつをとってSEGA=セガとした。
バンダイは、中国の兵法書の「永久に変わらないもの」を意味する「萬代不易(ばんだいふえき)」から命名したものとされている。
一方任天堂は、三代目社長が、「人生一寸先が闇、運は天に任せ、与えられた仕事に全力で取り組む」という社是を掲げたことに由来するとされている。
分野は違うが、資生堂の名は、中国の古典から引用しているそうで、「至哉坤元 萬物資生」がそれであるが、これは難しい。
「大地の徳はなんとすばらしいものであろう。全てのものはここから生まれる」という意味だそう。
これに比べて三省堂はわかりやすく、中国の論語の「吾日三省吾身」で、「私は日に三度我が身を振り返る」に由来しているそうである。
私は携帯を持たない人間であるが、ドコモはDo Communications Over The Mobile Networkの頭文字でできている。
決して「何処も」ではないのだが、日本人なら無意識にそう思い込むだろう。うまい命名である。
最後に、歯科関係者は誰もが知っているGCというメーカーについて触れておこう。
今でこそ、歯科器材メーカーとしてメジャーとなっているが、これはもともと東京池袋の化学研究所がその前身となっている。GCとは、General Chemistry(総合化学といった意味か)の頭文字をとったものである。ある年齢以上の歯科関係者は「而至」(ジーシーと読む)という社名を見たことがあると思う。
これは戦時中、敵国の言語である英語の使用を避けた際に、而至化学研究所という社名を使用したことの名残りであるが、戦後も長く使用されていたところを見ると、この会社が漢字のこの名前を気に入っていたのではないかと想像される。
企業の社名も、企業時の創業者の思い入れが偲べてこれまた興味深い。
(群馬県保険医協会歯科版掲載のための原稿)