食生活と咀嚼


 私は歯科医になろうと思ってなったわけではありませんが、結果的に現在歯科医を生業としています。
 自己弁護するつもりはありませんが、ある職業を選ぶ時の理由なんてどうでもいいと思っています。第一希望が成就せず第二希望で職に就く人、思い出せないようなひょんな出会いから職に就く人、親の家業を継ぐ人、腰掛けが本業になる人等、熱い思いや使命感をもってこの職業でなくてはという必然でなれる人はごくごく少数ではないでしょうか。言い換えれば、何のしがらみもなく自分が希望する職業につける人はそれはそれで幸せですが、社会では決して多くはないと思うのです。
 でもどんな動機であれ、結果としてその職業を選んだからには、「この職業に就けて本当によかった」「自分はこの職業に向いている」「生き甲斐を感じる」という思い、つまり自分の職業の「正当化」は絶対に必要だと思います。
 なぜなら、職業という手段を通じて社会に貢献するわけですが、プロである自分を肯定的にみられないとしたら、実際に手段を行使する相手(私の場合患者さんですが)に失礼ですから。
 でも逆にこの「正当化」の気持ちが強すぎると、鼻について相手からひんしゅくを買うこともありますから、この加減というのはなかなか難しいものです。
 さて、私も若い頃はこんなことでずいぶん無駄なエネルギーを使ったものですが(それが青春の証しかもしれません)、この歳になると板につくといいましょうか、事実を受け入れ、それなりに精進できるようになるから不思議です。
 そんな中で、最近「食生活と歯科」との関わりについて、大いなる説得力をもった本に出会い、歯科という分野の存在意義をあらためて確信しました。
 この本の巻末を読み、頭の中のカオスがすっきりと整理された、なんともいえない快感を覚えました。
 東京医科歯科大名誉教授の中村嘉夫著、その名も『咀嚼する脳』です。
 私なりに要約してみます。
「かまなくても栄養摂取できる食品が出回っている現在において、ヒトは歯を失うとなぜ、義歯を使ってまでかもうとするのだろうか。生きていくだけなら咀嚼は必要ないはず。一方で私たちがおいしいと感じる風味は、味覚や嗅覚だけで味わうのではなく、食物の大きさ、歯ざわり、舌の運動感覚や口腔の温度感覚等、諸々が関係している。これは、かまなくてもいい食品では知覚できない。
 風味は、自分自身の幼い頃から現在までのいろいろな時点での出来事を想起するための鍵として重要。
 世界中、どの民族でも、そして同じ民族でも地方によって特色ある風味をもった民族(郷土)料理をもっている。さらに個人レベルではおふくろの味。
 ヒトの食事は、民族、郷土、個人の歴史と固く結びついた文化的行動である。
 ヒトは食事の風味を楽しむときに、その風味によって自分の民族の歴史や自分自身の生い立ちへ思いを馳せることになる。
 人生は思い出の集積であり、それはこの世にただ一人しかいない自分自身、つまり個人のアイデンティティの基盤である。このことは、記憶喪失者が、自己の過去の思い出を失うことにより自己のアイデンティティを喪失することからも明らかである。
 風味はこのように自分自身のアイデンティティを確認するための重要な手段であり、私たちは食事のたびにこの確認作業の強化学習を行っているといえよう。食物を咀嚼して風味を味わって食べる機会が失われると、個人のアイデンティティ確認の重要な手掛かりが失われることになる。」
 毎日何気なく体験している食生活の中に、人間の尊厳にかかわる重要なテーマが存在しているという、まことに意味深い言葉ではありませんか。
 今後さらに社会の高齢化が進みます。その中で、ますます増えることが予想される認知症(記憶障害と判断力傷害が基本)対策として、自己のアイデンティティ維持回復の鍵としての「咀嚼」がもっとクローズアップされるべきではないか、また私たちがそれを訴えていくべきではないかと考えています。
 私もプロとして、少しでもお役に立てれば本望と考えています。

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