
5年前にいただいたプルメリア。
いただいた時は、黄色い可憐な花が咲いていましたが、それ以来葉は出すものの花は全く咲きませんでした。
ところが今年は気がついてみると、写真のようにこれまでとは違う芽が出て来ました。
花芽ではないかと今から期待しています。
趣味の事を書いたブログです

学生時代を過ごした私の第二の故郷、仙台市のある宮城県。東北地方では最大の県人口である。
明治時代、廃藩置県で仙台藩は仙台県となったが、かつての朝敵を連想させるとして宮城県となった。「宮城」の名は、当時仙台城があった宮城郡からとった。つまり「宮城」とは仙台城を指している。
「仙台」の名の由来については、すでに日本の地名で触れているので、ここでは簡単に。
天正(1573-1592)までは「千代」と書いて「せんだい」と呼んでいた。これは、仙台市太白区大満寺に安置されている千体仏に由来すると言われている。
ちなみに仙台平野は、昔から洪水や津波の被害の多い土地だった。
その後、伊達政宗が青葉山に仙台城を作り、その城下町を開いてその地を仙台(旧字では「仙臺」)とした。
「仙臺」とは、古代中国の首都長安の西にある仙人が住むとされている山のことで、理想郷という意味が込められている。中国・唐の詩人である韓翃(かんゆう)の七言律詩「同題仙遊観」の冒頭句「仙臺初見五城楼」から採られたと言われている。文化的教養のあった政宗の、洒落た当て字といったところか。
仙台市には、青葉区をはじめ「青葉」がつく地名が多いが、仙台城のある丘陵一帯が青葉山と呼ばれ、城ものちに青葉城と称されるようになった。ちなみに拙院青葉歯科医院の名も、私が青年時代を過ごしたノスタルジーから「青葉」を拝借したものである。
仙台市の町名にも、由緒ありそうなものが多い。いくつか、取り上げてみたい。
青葉区支倉(はせくら)町は、慶長遣欧使節としてローマに渡った伊達政宗の家臣、支倉常長に由来する。
青葉区角五郎丁(私の学生時代には「丁」はなかった)。
丁名は、一説にはその昔、川を渡る舟を差配して人気を集めた農民の角五郎にあやかったというもの(角五郎舟場が地名になった)、他には、川の蛇行によりその土地が角のように曲がった形をしているからというもの。ただし後者の説では、「五郎」の説明がつかず説得力に欠ける。
青葉区柏木は、1970年の住居表示実施で新設された町名だそうである。源氏物語にも出てくる由緒ありそうな町名だ。まだ町名ができて間もなかった頃、私はそこに4年間住んでいたが、その頃は、星稜町という医療系の学区に接した落ち着いた町並みだった。今でもそうであってほしい。
さて、町名案として「表町」「支倉町」「住吉町」「柏木町」の4つが浮上した末、住民アンケートによって「柏木」と命名されたそうである。
その他、珍しい地名として「霊屋下」がある。「おたまやした」と読む。
「霊屋(おたまや)」とは、伊達家三代(政宗、忠宗、綱宗)の霊廟が造営された御霊屋(おたまや)に由来し、その下に位置することからこの地名になった。「御霊屋」は、時代とともに「御」の字が省かれるようになった。
次に、仙台の周辺に目を移すと、名取市がある。実は、仙台空港は仙台市ではなく隣接する名取市内にある。
何やら由緒ありそうな地名だが、芸道で一定の技芸を認められた際につけられる「名取」とは全く関係がない。
7世紀末から8世紀に、市の名前の由来となる「名取郡」の名称が文献に初めて登場した。
この地には名取川が流れ、古来より湿地が多く、アイヌ語で湿地を意味する「ニタトル」に由来し、それが訛って「ニトリ」に、さらにそれが「ナトリ」となったとされている。
塩竈市について。
漢字表記で「塩竈」と「塩釜」とがあるが、塩竈市役所で作成する公文書においては、「塩竈」を使用することになっているそう。小中学生には難しい漢字である。
「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と様々に表記されてきた。市は、1941年の市制施行より表記を「塩竈」に統一しているが、「竈」に代えて「釜」を用いた「塩釜」の使用も認められている。
地名としては、国府津(こうづ、国府の港の意味)とも呼ばれたが、塩竈神社が陸奥国の総鎮守として信仰を集めるようになり、「塩竈」の名が定着した。
「塩」と「鹽」は新字体と旧字体で字義が同じである一方、「釜」はナベカマの「かま」を意味し、「竈」は釜を乗せる「かまど」を意味するため、こちらは字義が異なる。
結果、市名が鹽竈神社の社号に由来することから、市は「竈」を使い、「鹽」を常用漢字の字体に置き換えた「塩竈」を市名の表記とした。地名の由来はあくまで塩を作る竈なのである。
多賀城市について。
645年の大化の改新を契機として、当時の朝廷は律令(りつりょう)という法律を基に、全国を「国・郡・里」という行政単位で土地と人々を直接支配し、税を納めさせた。東北北部の人々はそれに従わず、蝦夷(エミシ)と呼ばれていた。かつて北海道を意味した蝦夷(えぞ)と同意である。
古代中国で、中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称=蔑称と通じている。
今流行りの、America Firstや中華思想といったところか。悲しいかな、人間の精神性は古代とさほど変わっていない。
その蔑称とは、東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西夷(せいい)あるいは 西戎(せいじゅう)、南蛮である。
797年に坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)が征夷大将軍となるが、この征夷とは蝦夷を討つという意味である。
蝦夷を統治するためにまず築かれた「城柵」が多賀城(たがのき、現在は((たがじょう)))、続いて胆沢城(いさわのき)、さらに北上して志波城(しわのき)が築かれた。
県内第二の人口を誇る石巻市。
名前の由来は諸説あるが代表的なものを挙げてみる。
伊寺水門由来説は、この地がかつての伊寺水門にあたり、石巻は伊寺の牧つまり放牧地であったことから「伊寺の牧」から転化したというもの。
アイヌ語由来説では、サケマスの収穫の多いところを意味するイソ・マシュキニ」、あるいは岬の開けたところを意味する「エサン・マッケ」が転じたものとされている。
次に気仙沼。
アイヌ語由来の説としては、南端にある入り江、あるいは湾内の奥を意味する「ケセモイ」、あるいはアイヌの勢力の及ぶはずれの港の意の「ケセムイ」から転化したというもの。
次に日本語由来説。
古代の気仙郡からというもので、「気仙」とは岩手県の大船渡市、住田町、陸前高田市、そして宮城県の気仙沼市の辺りを表す地名で、今でも地元では「気仙地方」というそうである。
ではその「気仙」とは。
ちなみに、茨城県の「鹿島」という地名は、船着場の意の「かせ」から派生した「かせ間」が語源とされている。気仙沼も同様、「カセ間」の訛りからという説もある。
その他、「ケセ」は「削り」を「背負う」の意味で岩磯、つまりリアス式海岸を意味するという説。その他、漢語が起源という説では、海道の入り口という意味の「滊先」(日本語読み:ケセン)に当て字をしたというものがある。淡水と海水の混じり合った水を「汽水」というので、この説も納得できる。その他、まだ諸説あるが割愛する。
温泉で有名な作並と遠刈田、そして鳴子。
作並は、古くから「仙台の奥座敷」と呼ばれてきた。
名前の由来の第一。
作並は、仙台を流れる広瀬川の上流に沿って発展した温泉地だが、急流のため川面にたつ波から「作られる波=作並」、あるいは「狭い谷間の波がたつ川」から「狭波」→「作並」となったという説。
第二の説は開拓に由来するもの。
山間を開拓し、田畑を作りながら集落を並べていったことから「作並」と呼ばれたというもの。
次に、宿場町に由来する説。
関山海道の宿場町として、家々が並ぶ様子が地名になったという。
遠刈田は「とおがった」と読むが、「遠かった」を仙台弁で発音すると遠刈田の発音になる。
「刈田」という地名は、宮城県内に複数ある。もともと古代の行政区画に由来するもので、「狩りをする田」あるいは「開墾された田」を意味すると言われている。白石城下から見て、遠くにあった「刈田」という意味と考えられる。
続いてまた温泉の鳴子町。
鳴子の名の由来には有力な説が二つ。
一つは、承和4年(837年)の火山の噴火で、その時の振動の轟音を「鳴声(なるごえ)」と呼んだことによるというもの。
もう一つは、源義経の正室である郷御前が出産した後、その稚児を弁慶が笈(おい)に入れて移動した際、この地で初めて泣いたため、「啼児(なきご)」から転じたというもの。
まだ触れたい地名は数々あるも、最後に登米市を取り上げとりあえず区切りをつけたい。
古くは登米町、その後町村合併して登米市となった。
市名の読みは登米市(とめし)であるが、市内の登米町は(とよままち)と読み、古くから米の名産地として知られる。
奈良時代以前から、この地には「遠山(とおやま)村」という村があり、これが「登米(とよま)」の語源とされている。
地名の由来には諸説ある。
「米」由来では、この地から米を船に載せて江戸へ運んだことから「米が登る」つまり登米となったという説。
また「遠」由来では、アイヌ語の「トオイマイ」や「遠山」に由来するという説。
その他、国語学者の大槻文彦氏は『復軒雑纂』の中で、「続日本紀」に登場する陸奥国遠山村がのちの登米郡の地であろうと記している。遠山は「とよま」と転訛し、アイヌ語の当て字である可能性があるとも。
改めて語源は実に奥深く、好奇心をそそる。

さて、関東では1ヶ月余りほとんど雨が降りませんでした。
上流のダムでは貯水量が限界まで下がり、水不足が懸念されました。
山間部では今冬は降雪量が多かったはずなのに、と思いましたが、雪解けの水がダムに溜まるまでにはタイムラグがあるんですね。
前橋もずっとからっからでしたが、昨日からようやく恵みの雨が降りました。
庭のクリスマスローズもここ2、3日でにわかに花開いてきました。
クリスマスとは名のつくものの、このあたりでは開花は例年通り、2月下旬から3月です。
それでも、やや下を向いた可憐な花が咲くと、寒かった冬の終わりと明るい春の訪れを感じずにはいられません。
冬の厳しい寒さがあるからこそ、まだ見ぬ春の暖かさに夢を馳せ、生きる希望が生まれるのでしょうか。
いいことがありますように。

立春を過ぎ、寒さは残れど日に日に日の出が早くなることで、春間近を待ち侘びる今日この頃です。
今日は衆議院選挙、日本の未来のために国民が賢明な選択をすることを願うばかりです。
さて、咋夜半から関東平野部では珍しく雪が降り出しましたが、私の地元ではさしたる交通への影響もなく、ほっとしています。
そして午後、妙義山がどんな姿なのか気になっているのか気になって、酔狂ながら例の場所に行ってみました。
結論。
妙義山のコントラストが映えるのは正午から1時間以内だと確信しました。
ちなみにこの写真は午後3時頃。私の好きな角度からの景色は完全に陰影になってしまいました。
しかもとんでもない寒さ。シャッターを押す指の感覚がありません。
でも、神様が吹雪をプレゼントしてくれました。
どうでしょう、厳寒の妙義山を感じていただけたでしょうか。

もうお正月も終わり、昨日から子供達は新学期が始まったようです。
さて昨年12月、歯科用ユニット(診療台)を1台、更新しました。
これはそのユニットのスピットンです。
スピットン(spittoon)とは本来”たんつぼ”のことですが、歯科では口を漱いだ水を吐き出す容器を指します。
一般的には透明のガラスあるいは樹脂製か、白い陶器製のものがほとんどですが、これは金属をガラスでコーティングしたもので、それなりに高価で見た目にも高級感があります。
実は、他の4台のユニットのスピットンは全て白い陶器製なのですが、スタッフがきちんと手入れをしても、経年的にどうしても黒ずみが生じてしまいます。患者さんから手入れを怠っているように見られるのが嫌で、今回このタイプをオプションで取り付けていただきました。メーカーの方も、現時点でこのタイプを取り付けたのは初めてだとおっしゃっていました。
よいものは大事に扱いますから、決して無駄ではないと信じています。
数年経過してどんな状態でいるのか、興味津々です。

今年も大晦日、年齢のせいか年々1年が早くなっています。
12月31日と1月1日で、デジタルの時計のように何かが急に変わるわけではありません。
でも、一つの区切りとして1年という単位を作るのは、人間にとって気持ちを入れ替える契機なんでしょうね。
さて、我が家の庭も落葉樹の葉が落ち、寂しい景色になりました。
若い頃は、この風景が殺伐として嫌いでしたが、歳を重ねると、葉が落ち枝ぶりが露わになった景色も、肯定的に受け止められるようになりました。
写真のマユミは、我が家の庭先に数本生えています。
もともと、木質の弾力性から弓の材料に使われたことからその名がつけられたそうです。
北西の風が吹くこの季節に、四面体の実が、寂しくなった庭に彩りを添えてくれます。
皆様、よい年をお迎えください。

当日のプログラムは次の通りです。
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アナ・ヴィドヴィチ(Gt.)
エレーヌ・グリモー(P) カメラータ・ザルツブルク
・幻想曲ニ短調 K.466
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
・幻想曲 ハ短調 K.476
4. ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調op.18 (BD)
ルツェルン音楽祭 2022
藤田真央 (P)
R.シャイー指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
5.ミシャ・マイスキー ( Vc.) (CD) 2013
・ バッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番
・グノー アヴェ・マリ
・ブラームス 子守唄
・プーランク 愛の小道
・ラフマニノフ ヴォカリーズ
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プログラムについて簡単に説明いたします。
1.ジェズアルド・シックス演奏会
「ジェズアルド・シックス」は、ルネサンス期の作曲家、カルロ・ジェズアルドの楽曲を演奏するために結成された、イギリスの男性コーラスグループです。
この分野では同じイギリスの「キングス・シンガーズ」が有名で、数年前に当CDコンサートでも取り上げました。今年初めてこのグループの歌声を聞いたときに、キングス・シンガーズに勝るとも劣らないレベルに圧倒され、今回取り上げました。
2.ロドリーゴ アランフェス協奏曲
クロアチア出身のアナ・ヴィドヴィチのギターによるロドリーゴのアランフェス協奏曲ですが、彼女も以前取り上げました。演奏のうまさもさる事ながら、演奏している姿がとても美しいのです。ただし、インタビューの映像もあるのですが、彼女の美しさ、奥ゆかしさは喋らないほうが際立ちます(笑)。
3. W.A.モーツァルトピアノ協奏曲第20番 K.466
次のモーツァルトは、個人的に最も好きなモーツァルトの曲のひとつK.466のピアノ協奏曲で、過去既に何回も演奏者を変えて取り上げています。多分、とりあげた回数では最多だと思います。
この曲を二つのファンタジー(幻想曲)ではさんだ、まるでハードカバーの本のような洒落た構成となっています。演奏者のエレーヌ・グリモーはフランス人で、このCDの演奏はこれまで聴いたK.466の中でも特に優れた演奏だと個人的には思っています。
4. ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番ハ短調
ルツェルン音楽祭での演奏ですが、このピアニストは大地真央でも浅田真央でもなく藤田真央で、男性です。彼はスイス方面で活躍していて、国際的にも実力が評価されています。童顔で、はにかんだような仕草で高校生くらいにしか見えませんが、おそらく今後実力が評価されるでしょう。
5.ミシャ・マイスキー ( Vc.)
言わずと知れたビルトオーゾの演奏です。
当日の雰囲気が少しでも伝われば幸甚です。