そうだったのか語源㉒  -方位について-

今回は、方位にまつわる言葉について触れてみたい。

まず方位には、一つの分類として絶対方位(absolute orientation)と相対方位(relative orientation)がある。

ここで用いられるorientation=オリエンテーションのorientには方位、方向付けの意味がある。

orientは東、あるいは東アジアを指すことが多いが、もともと東の方角や太陽の方角を指して使われており、そこから現代では動詞で「正しい位置に置く」といった使われ方をするようになったようである。

「日出ずる処」ではないが、古来より日中に活動する人類にとって、まずは日の出の方角が方位としての基準となったことは頷ける(ヨーロッパでも中世の大部分の広域地図は東を上にして描かれていたという)。

ちなみに、orienteering=オリエンテーリングも語源は同じで、コンパスと地図で方位を確認しながらゴールを目指す競技ということになる。

絶対方位とは、誰からみても決まっている方位(方向)で客観的であり、一方の相対方位とは基準とする位置によって変わる方向で主観的ともいえる。前者は東西南北と上下で、左右は後者となる。

まず、一般的に地図は北を上にして描かれている。少なくとも現在の日本では。

一般的にと言ったのは、北を上にしない描かれ方も少なからずあるためである。

ここでは、北を上にすることが一般化した理由について触れてみたい。

古くからヨーロッパでは、夜間は北極星を頼りに位置方角を確認していた。14~15世紀頃、地中海航路の探索において、方位磁石(指針は常に北を指す)が重用されるようになった。特に航海の際には羅針盤と地図との対比のため、利便性から北を上にする必要があった。日本の地図の表記はこれに従ったものと言われている(他にも諸説あり)。

地図は北を上(水平面に置いた場合の前方)に描かれているため、北へ向かうのを「北上」、逆に南へ向かうのを「南下」と表現するようになった。つまりこれらの熟語は、地図の描き方が世界的にほぼ確定した近世になってできた言葉である。

次に東西南北について。

この、あまりにも当たり前に使っている方位だが、例えば日本語を知らない外国人にどう説明したらよいだろうか。「東」は先ほどのorientの説明でよかろう。当然「西」は太陽の沈む方角となる。ある国語辞典には、「南」は「日の出るほうに向かって右の方角」と説明されており、英英辞典でも同様の説明となっている。ではここで使われている相対方位の「右」はどう説明されているか。先ほどの国語辞典には、「東を向いたときの南に当たるほう」と記されている。

しかし、これだと「右」も「南」もわからない相手には伝わらない。「右」とは、「日の出るほうを向いたときに、その後太陽が進んでいくほう」としてはいかがだろうか。

ちなみに「南蛮」「東夷」といった漢字表記については、「そうだったのか語源⑭ −国名都市名その2 漢字表記−」で触れているのでここでは割愛したい。

次に、方位が使われている熟語を取り上げてみたい。

まず「敗北」にはなぜ北という字が使われているのだろうか。

勝負に負けて北の方角に逃げたからではない。

「北」にはもともと背を向けるという意味がある。「北」は太陽の方向に対し背を向ける方角という意味である。ちなみにこの「背」にも「北」が使われており、体の後ろ側を意味している。つまり「敗北」とは、勝負に負けて相手に背を向けて退くことを意味している。

次に、「教え導く」意味の「指南」には「南」の字が使われている。

この語源は、古代中国の「指南車」に由来する。「指南車」とは、戦場で南の方角を示すために作られた「歯車からくり」で、上に載っている仙人の人形が常に南を指すように作られていた。なぜ指す方角が南かというと、中国古来の思想に「天子は南に面する」というものがあり、それに基づいたものとされている。先に触れたorientの発想とは別の文化の匂いを感じる。

さて、日本の地名に、上下がつくものが多い。

「上」を「かみ」と読む場合、川上と川下、上の句と下の句のように、もともと連続したものの最初の部分を指す。

まず「上=かみ」の意味について。

お上(おかみ)、つまり朝廷のある所を中心としていた頃の表現で、京都を指す。関西を上方(かみがた)というのはここからきている。

また、京都の中でも上京区(かみぎょうく)、下京区(しもぎょうく)と呼ぶように、大内裏に近い北のほうを上(かみ)という。ちなみに、全国にも「北」のことを「上(かみ)」と表現する場合があるが、京都の例に由来するのか、あるいは先に触れた地図の上(うえ)だからか、はたまた川上の方角だからか、勉強不足のためわかりかねる。

次に京都以外から見た場合、より京都に近い所に上(かみ)という形容詞をつける。上野(かみつけ)は下野(しもつけ)より、上総(かずさ)は下総(しもうさ)より、そして上越は下越より京都に近い。

絶対方位の「上下」が、ここでは相対方位的に使われているのも興味深い。

似たような表現で、「前後」が使われる場合もある。

例えば、備前、備中、備後の順に、そして越前、越中、越後の順に京都から遠ざかる。

現在、首都である東京を中心として、路線の方向を「上り(のぼり)」「下り(くだり)」と表現するのと同様の概念といえる。

さて、官職をそれまでよりも低い位置に下げられることを左遷という。「遷」は「遷移」「遷都」のように場所を移す(移される)意味である。

この「左」は、古くから中国では右を尊んで上位とし、左を下位とする風習からこのように使われた。ちなみに、西洋も同様の風習(右を「正しい」「正式な」の意味のrightというのはこれが語源とか)だが、日本では逆に左を右の上位とする風習がある。「左上・右下(さじょう・うげ)」とは日本の伝統礼法の一つで、「左を上位、右を下位」とする風習を指す。したがって左大臣は右大臣より高位なのである。佐藤という苗字が多いのもこのせいだとか。

ご存知の方も多いと思うが、先に出た京都だが、「右京」「左京」は、都の北にあった大内裏の位置から南に向かって都を見て、右、左、と名づけられたので、一般的な地図上では、右と左の位置関係が逆、つまり右が西、左が東になっている。

政治思想の世界にも、右翼と左翼という表現がある。

Wikipediaには、「伝統的な意味では、進歩派(革新、革命)勢力を左翼(左派)、保守勢力を右翼(右派)と呼ぶが、具体的な思想や範囲は時代や立場や視点により変化する。」と記されている。

この呼び方の起源は、フランス革命期の議会の席順において、議長席から見て右に「保守、穏健派」、左に「共和、革新派」と、左右に分かれて座っていたことによる。

現在では、政治的スペクトルはより複雑化し、保守、革新共に右派、左派が存在し、さらに分野により左派が右派的になったり、またその逆の場合もある。

その他、「家業が左前になる」という表現があるが、この「左前」とはいかに。

和服の着方で、相手から見て、左の衽 (おくみ)=襟の下の部分 を上にして着ることを指す。普通の着方と反対で、死者の装束に用いる。ここから、運が傾いたり、経済的に苦しくなるといった、萎える様を表すようになった。

最後に、「右肩上がり」について。

グラフの線が右に向かって上がっていく形から、後になるほど数値が高くなること。あるいは後になるほど状態がよくなることで、これは感覚的に理解しやすい。

二次元空間で、横線はX軸、縦線はY軸と呼ばれるが、時間経過に対する変化量を表す場合、一般的にX軸が時間経過、Y軸が変化量を表すことが多い。

「右肩上がり」とはその名の通り、時間の経過とともに、Y軸の数値が大きくなることから、折れ線グラフでも棒グラフでも見ての通り「右肩上がり」となるわけである。