弥勒菩薩

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 私は中学生の頃から仏像が好きでした。ですから、高校の修学旅行の行き先が京都と奈良(その頃は定番でした)だったので、あまり楽しそうでない同級生が多い中、早く実物を見たくてうずうずしていました。 
 なにしろ、旅行委員を買って出たくらいです。
 特に興味があったのが、広隆寺、中宮寺の弥勒菩薩と薬師寺の聖観(世)音菩薩及び日光菩薩月光菩薩でした。
 法隆寺の百済観音ほどとは言いませんが(笑)、どうもすらっとした、いわゆるスタイリッシュな仏像が好きなのかもしれません。
 
 修学旅行ではもちろんこれらは全て見学してきました。
 実際に見た末に虜になったのは、中宮寺の弥勒菩薩でした。
 力の抜けたごく自然な体位と、なによりもモナリザにも通じる微笑みをたたえた、えも言われぬ表情に魅了されました。  悲しみや悩みを共有して軽くしてくれるような、そんな力を感じました。
 偶像崇拝と言われればそれまでですが。

 さて今回、母の死と関係があるかは自分でもわかりませんが、たまたま喜多敏勝作の「菩薩半跏像」をネットで見つけ、どうしても欲しくなりました。 中宮寺の弥勒菩薩をモデルにしていることは、仏像好きの方なら一目瞭然です。
 1週間悩んだあげく結局購入して、階段の踊り場にあるニッチ(物を飾るための壁の凹み)に飾って、朝な夕なに眺めています。

3月の「ご意見ポスト」から

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-ご意見-
 「いじめられている君へ いじめている君へ」をありがとうございました。

-回答ー
 玄関の風除室に貼ってある、新聞に掲載されていたいじめ問題へのコメントをご覧になったのですね。
 いじめ問題が少しでもなくなるようにと貼ったものですが、少しでもお役に立てれば幸いです。

母の死

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 今年は、私の人生に刻みつけられるようないろんなことが起こります。
 自身の骨折に続き、2月16日に母を亡くしました。 
 全く前ぶれのない心臓発作による急死でした。
 実は、私の父親は私が13歳のときに亡くなりました。享年39歳という若さでした。
 その後、母は女手ひとつで私と妹二人を育て上げたわけですから、それなりの苦労はあったろうと思います。
 そのことは子どもとして、決して忘れてはいけないと思っています。
 亡母の四十九日は今度の日曜 3/24です。
 まだ居間にいるときなど、腰を曲げた母がすうっとドアを開けて入ってくるような気がします。
 亡くなったという事実を受け止めるまでには、結構時間がかかるのかもしれません。
 何かと忙しい現代、なかなか身内を亡くしたことの悲しみに浸っていることはできませんが、逆に仕事に集中せざるをえない状況故に、現実を忘れる時間があることに感謝さえ感じることがあります。
 今年は昨年末からの記録的な寒さが続いたかと思えば、3月に入ってからは今度は記録的な暖かさ(昨日などは夏日で診療室では冷房を入れました)が続き、東京では桜がそろそろ見頃を迎えるとの便り。
 やっと、季節の移ろいを感じ、花に目がいくような精神状態に戻りました。
 毎年変わらず繰り広げられる自然の営みと、その中で必ず変わっていく事実をかみしめています。
 ミモザがそろそろ満開になります。