モーツァルト その8   -廃墟に漂う音楽-

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 大学の2.3年生の頃(1976-1977年)、久しぶりに帰省して、NHKのドラマを見ていました。
 内容はよく覚えていませんが、西東三鬼(さいとうさんき)という歯科医であり俳人である人物がドラマの主人公でした。たしか、三鬼役の小林桂樹が、第二次大戦で焼け野原となった街をとぼとぼと前こごみになって歩いている場面があり、そこに字幕で俳句が映し出され、BGMとしてモーツァルトの曲が流れていました。
 しかしながら、そこに流れている曲がモーツァルトのものであるとは、当時は全く知りませんでした。
 それよりも、歯科医が主人公(ドラマの中では歯科医より俳人であることのほうが重要なのですが)として登場する場面が珍しく、また印象的だったのです。
 話が本筋から外れますが、医師が主人公として登場するドラマは枚挙に暇はありませんが、歯科医が登場するものは、クローニンの「城塞」など、数えるほどしかありません。しかも、歯科医業がメインの場面として設定されたものはほとんどありません。
 歯科医業とは、一般の方から見るとそれほどに迫力に欠け、あるいは日常生活に入り込んでいないものなのかと思うと残念です(実は、毎日結構スリルを感じながら治療を行っているんですけどね)。
 閑話休題。
 この時に流れていた曲が、弦楽五重奏曲ト短調K.516だったということはあとになってわかりました。
 セピア色のモノトーンの画面、あちこちから煙のくすぶる廃墟という場面に、これ以上ふさわしい音楽はないと思うほど見事な選曲だったのです。
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 さてこの五重奏曲は、1787年(つまりフランス革命の2年前)に書かれましたが、この年には、この少し前に同じく弦楽五重奏曲のハ長調K.515が書かれています。
 ちなみにこの翌年1788年に、有名な最後の二つの交響曲、40番ト短調と41番ハ長調「ジュピター」が作曲されています。
 もうお気づきですね。
 順番こそ逆ですが、ほぼ同じ時期に同じ調性で同じジャンルの曲が2曲ずつ作曲されているというのは実に興味深いと思いませんか?
 そもそもモーツァルトという作曲家には、ひとつのジャンルの曲を何曲か続けて作曲するという習性があるようです。
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 作品の構成は以下の通りです。
第1楽章  アレグロ ト短調
第2楽章  メヌエット アレグレット ト短調
第3楽章  アダージョ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調
第4楽章  アダージョ ト短調-アレグロ ト長調

 まず第1楽章の、上昇し、その半音階的に下降する第1主題の、あえぐような休符の使い方が、聴く者にただならぬドラマチックな内容を期待させます。
 小林秀雄をして、「疾走する悲しみ」と表現せしめた、問題作の楽章です。
 第2主題の調性は変ロ長調ですが、最後は再び短調になり「疾走」していきます。そして、あえぐような上昇と下降を繰り返すコーダで閉じられます。
 第2楽章は、弱拍に複雑な響きの和音がフォルテで鳴らされ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。一度耳にすると忘れられない、なんともいえない響きです。
 そのあとに続くトリオは、雲間からのぞく青空のような明るさと輝きをもっていますが、再び現れる暗雲によってすっかり隠されてしまいます。
 第3楽章は弱音器つきで演奏されますが、感情の高揚が終わったあとの、脱力感を伴った心の安泰のように響きます。
 しかし、まもなく無気味な変ロ短調のシンコペーションが始まり、その後再び編ロ長調と、目まぐるしく転調し消えていきます。
 そして第4楽章は、ト短調のかなり長い序奏で始まります。
 例の、廃墟をあてもなくさまよう西東三鬼の後ろ姿に最もふさわしいのがこのパッセージです。
 この重いアダージョのあとに、一転して明るく軽快なロンド、そしてフィナーレへと澱むことなく続きます。
 モーツァルト研究家のアインシュタインはこのフィナーレを、「慰めなき長調」という表現をしていますが、私にはそこまで聴き込む力はありませんが、重い枷がはずれたあとの「自由」とか「開放感」といった気分を感じます。
 皆さんはいかがお感じになりますか?

 さて演奏では、ヨセフ・スークを伴ったスメタナ四重奏団、フランツ・パイヤールを伴ったメロス四重奏団のものが印象的でした。
  (1995年群馬県保険医新聞9月号に掲載したものに加筆)

ランという植物

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 NHKの『地球・ふしぎ大自然』という番組が好きで、ほとんど毎回欠かさず見ています。
 9/6放送のこの番組で、メキシコの熱帯雨林に生息する「バケツラン」というランを紹介していました。英語ではbacket orchidというのでしょうか。
 実に不思議な生態をもったランで、知能があるのではと思わせるような巧みな技で、厳しい環境の中で生き抜いていました。
 よくランは、「最も進化した植物」といわれます。
 ランには、この地球上で最もあとから現れた植物ゆえの宿命があるのです。
 地上のおよそ植物が生息できる場所という場所は、他の先住植物によって占拠されているわけですから、新参の植物はそれなりの工夫をしなければその世界に入り込めないのです。
 その意味では、地生(地面に生える)ランと着生(他の植物に付着して生える)ランに大別されるランのうち、特に後者の着生ランがより優れているといえます。
 ちなみに前者の代表格としてはシンビジウム、デンドロビウム、後者の代表格はカトレア、ファレノプシス(胡蝶蘭)が有名です。
 着生ランは、自分の居場所として、なんと高い木の枝を選んだのです。これこそ、地上の生存競争の厳しい場所をあえて避けた頭脳プレーなのです。
 カトレアの根は、他の木などにしがみつくための機能と空気中の水分を吸収する機能をもっています。ですから、湿度を含んだ空気があれば、特に水をやらなくても生き続けることができるのです。
 その他、種の保存の面でもかなりの知恵を身につけています。
 たとえばハンマーオーキッドというランは、花弁の中にあるハチの雌の形そっくりの突起をもっていて、雄のハチが交尾しようとその突起につかまると、その突起がハチごとまるでハンマーを振るようにしなってハチの体に花粉をつけるという仕組みになっています。
 前置きが長くなりましたがこの「バケツラン」、香水のような香りで雄のハチを惹きつけます。しかも最も芳香を強く発する部分は下向きになっているのです。ハチはすべって、リップ(ランの花弁で、一番下に位置するもの)とよばれる花弁が変化したバケツ状の器の中に落ちます。この中には、ラン自らが貯めた液体が入っていて、ハチはその中で必死にもがきます。食虫植物のウツボカズラに似ていますが、この液体はハチを溶かしません。ハチにはもう一仕事してもらわなくてはならないのです。
 この容器には一か所だけハチが這い上がる足がかりになる部分があり、そこにハチが辿り着くと、今度は狭い通路があり、そこをやっとの思いでハチが抜け出る時、最も狭い部分にあった花粉がハチの背中に確実に付着するようになっているのです。
 それだけではありません。花粉はアリにも運ばれるのです。花粉はアリの巣まで運ばれるとそこで発芽、発根し、ありの巣を取り囲むように成長します。ありの巣はランの根でしっかりと固定され、ランはアリにより、害虫から守られるという共生の関係を築いているのです。
 ここまで徹底した生き残りの技を身につけたランがいたのには脱帽です。
 明日からのランの世話にもまた興味が湧いてきました。   (写真はファレノプシス=胡蝶蘭)